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 季鳥が空を行くのをただぼうっと眺めている。規則正しい列を組み羽ばたく姿を、まさかこちらの世界でも見られるとは思っていなかった。連合軍の陣からは少し離れているが、おどろおどろしい植物らしいものや真っ赤な溶岩も何もない、元の世界と変わらない豊かな草原はこの世界に連れてこられた人間にとっては憩いの場所だ。最も、一部を除いて、人間は皆こんなふうに暇を持て余すこともなく戦の準備をしているのだが。
 空のほとんどは禍々しい暗色をしているが、この辺りだけは突然開けたように青空が広がっていた。それを逞しく横切っていく鳥の群れから、一羽だけ外れたものがいる。怪我でもしているのか羽ばたきは少しぎこちなく、次第に遅れを取る。狙うとするなら、ああいう獲物がいい。孫市は徐に、傍らへ置いた銃へ手を伸ばした。草原へ寝転んだまま標準を合わせて引き金へ指をかけたところで、名を呼ぶ声がする。
「何だよ、郭嘉か。いいのか、こんなとこにいて」
「鳥は嫌いなの?」
 こちらの問には答えず、郭嘉は小さく首を傾げた。この男がまともに話をしないことは重々承知であったし、これに関しては恐らく答えたくないのだ。孫市は特に文句も言わず、首を振るだけであった。
「からすが一番だけどな」
「三本足のかな。からすはいいね、賢いし」
 発砲したように銃口を軽く跳ね上げて、ばあんと口にする。もちろん飛ぶ鳥は落ちてはこない。外したと郭嘉が楽しそうに笑うので、孫市はふてくされた。
「敵を捉える訓練なだけだ、本当に撃ってるわけでもなし、外れるもくそもないだろ」
「そう。訓練か、わざわざ外そうとしても、効果はあるものなのかな」
 さあなとうそぶきながら、孫市は内心で舌を巻いていた。もし誤って引き金を引いてはいけないから、あの鳥に弾が当たらないよう、最後に少し照準をずらしたのは事実だ。銃など知らない時代の人間である癖に、見ただけでそういうことが分かるらしい。郭嘉はこういうものを動かす側の人間であるし、個々の力については既に正確に測っているのだろうか。
「戦に出ないうちに、腕が鈍ってしまわないといいね」
「だったら俺を使えよ、暇で暇でもう死にそうなんだ」
「そういうことは、半兵衛殿にでも言ってはどうかな」
 寝転んだままの孫市の横へ座り込んで、郭嘉が空を見上げた。一羽の雁はすっかり置いて行かれてしまったが、それでもまっすぐにどこかを目指して飛び続けている。群れはとうに淀んだ空の中へ消えて見えない。あの鳥もその後を追うつもりだろうか、あんな恐ろしい闇の中に行ってしまって、他の鳥たちは無事なのだろうか。しばし二人で黙って雁を見つめていると、ふと郭嘉が呟いた。
「あれ、どこへ行くつもりなんだろうね。季節らしい季節もないところなのに」
「そりゃあ、確かに。でもどっかへは行きたいから飛んでるんだろ、多分」
 季節どころか、方角や昼夜すら怪しいこの世界でどうする気なのだろう。この不安定な気候をあの鳥たちが寒いと思うのか暑いと思うのか分かりようもないが、ああして群れで飛び立っていくからには皆どこかへ飛んで行く気なのだ。弱々しくとも羽ばたきを止めない鳥もまた、次第に暗雲へ近づいて行く。
「ああ、あの中、飛べるのかな……」
「何だ、俺が先に撃ち落としてやった方がよかったか」
 不安そうな声音をからかうようにそう言えば、郭嘉がゆっくりとこちらを振り返った。驚いたように、何度か瞬きをする。そうする度に長い金のまつげが揺れ、星屑を散らすようであった。いつ見ても美しい面であるが、元から白いのであろう肌は今ではこちらが不安に駆られる程に青く、吐き出す息は浅く苦しげだ。そんな郭嘉が戦に出されなくなって久しい。しかしそうなっても、この男は見知らぬ戦力まで冷静に分析して常に使う用意をしているのである。確かに不真面目で態度に問題はあるようだが、準備を怠る気はない。周りが勝手に不安に思っているだけだ。それを押し付けられるのを、郭嘉は最も嫌うはずだった。
「……うん。あなたが撃たないでくれてよかった」
 微笑みはにかんだ郭嘉に、孫市はああと頷きだけを返す。あの一羽もついに、挑むように暗い空の中へ飛んで行った。
 

2013.02.26