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 花のちらつく中、吐き出した紫煙は冷えた白に逆らうようにして空へ消えた。これ程までに積もったのは一体いつぶりであっただろうか、休日になれば業者も入るが、それまでこの雪を放っておけば登下校路が潰れてしまう。賈クにとっては道が潰れようが何だろうがどうでもいいことであるのだが、生徒の快適な学園生活のためにも、雪掻きは大事な仕事である。正直なところ、これもまたどうでもよかったのだが。
 ただし、仕事をしないでさぼっていると理事やら教師にめちゃくちゃに怒られるので、狭い用務員室に最近ようやく入れたばかりのこたつの中でごろごろしてばかりいるわけにもいかない。曹操の一族がほとんどを占めるこの職場で、まったくの他人というのは中々に肩身が狭い。悪い人間ではないが、どうにも冷たいというかドライというか、見た目があまりにアレらしいというか。賈クに人のことを言えた義理はまったくなかったが。
 そういえばスイッチ切ってきたかなあとぼんやり考える横顔に、冷たい何かが飛んできた。べしゃと濡れた感覚を頬に残して、白いかけらがはらはら落ちていく。煙草も湿ったらしく使い物にならなかった。
「校内は禁煙なのだけれど」
 涼やかな声が言って、賈クは苦々しく顔を歪める。
「こういうのは見られなきゃいいんだよ」
「そう。見つかって、怒られてしまえばいいのに」
「そんなヘマするもんかい」
 小さく笑みを零した郭嘉は、めずらしい制服姿だ。この学校の生徒であるので着ていて当然なのだが、放課後にその姿を見ることが多い賈クには、この青年にあまりそのイメージがなかった。いつもテニスウェアやジャージを着ていて、校庭や体育館、アイスリンクをふらりと回っては、女子生徒やら何やらにちょっかいを出しているのである。そんな遊びを部長に見つかって引っ張って連れて行かれている、そういう姿を見かけるばかりだったので、きっちりと制服を着込んだ姿は何だか不思議な気がした。
「しかし本当、そんな姿をしていると学生みたいだね」
 もちろんそうだけれどと目を瞬かせるのがおかしい。整った顔立ちは大人びていたし、言動もそれらしくないから忘れがちだが、そういえば郭嘉は確かにまだ学生であったのだ。どういう意味かなと問うきょとんとした顔が何となく幼く見えて、賈クはつい笑ってしまった。そこへ再び、雪玉が飛んでくる。
「うぶわっ。何だいさっきから!」
「少し運動をしたいなと思って」
 テニスでもしてなよと言って、思い出した、業者が来ない限りはテニスコートも深雪の中である。
「ていうか、部のミーティングか何かあるんじゃないのかね。いいのかい」
「それって、からだを動かすと思う? それに、副部長がうるさいからいや。彼、私のことを目の敵にしているようだし」
 などとわがままを言って、また雪を投げつけてくる。今度は食らって堪るかと避けたが、長靴の先が雪に埋まっていたらしく、賈クはつんのめって思い切り雪の中へ飛び込んだ。残念なことに賈クはもういい歳なのだから、腰とか膝とかを若い彼が労わってくれてもいいはずだ。それを郭嘉はくすくすと笑うだけなのだから、まったくかわいくない生徒である。
 この、と無造作に掴んで投げた雪を、郭嘉は簡単にかわしてしまった。雪に足を取られながらも何とか立ち上がって、しっかりと狙いを定めてみても当たらない。するんと軽やかに避けて、雪玉を躊躇なく投げつけてくる。砕けた雪の塊にくたびれた作業着がすっかり覆われ、賈クはぜいぜいと息をして独り言つ。
「まったく、猫ってのはこたつん中で丸まってるんじゃなかったかね……」
 何か言ったかなと問いかけてくるのに、慌てて首を振る。
 そして賈クは手早く雪玉を丸めた。何を見つけたのか、どうせお気に入りの女子生徒とかであろうが、郭嘉があっと口にして明らかに動きを止めたのだ。大した力もない自分なら当たっても怪我はしないだろう、思い切り雪玉を投げつける。咄嗟に顔をかばった右手で雪が砕けると、郭嘉は何故か雪の上に座り込むようにくたりと倒れていた。
「ひどい、怪我をしてしまうよ」
 悲しげに見上げてくる白々しい姿を賈クはふんと笑い飛ばした。そもそも、先に仕掛けてきたのは郭嘉の方だ。同じようにして顔面を狙っただけである。
「たかが雪合戦で何言ってんだい。それに俺なんか力いれたって」
 痛くないだろう、とは言葉にならなかった。地の底から響くように低い声に賈クと凄まれてしまっては、黙って振り向かざるを得ない。
「仕事をさぼって雪合戦とはいい度胸だな」
 生徒の間でも厳しいと評判の、もちろん賈クにとっても鬼のような上司の夏侯惇である。仕事をしていないのを見られただけでもまずいというのに、賈クの足下には蹲った生徒がいる。しかもそれが用務員さんにひどいことをされました、などと言うのだから泥沼だ。夏侯惇は厳しいが、生徒に対する愛は人一倍持っている。しかもこの体格の良さだ、がっしりと肩を掴まれては、もう逃げようがなかった。雪に無残な痕を残しながらずりずりと引き摺られていく賈クを、郭嘉は楽しそうに見送る。
「ああ、やっぱり見つかってしまったね」
 あの笑顔は間違いない、はめられたのだ。

2013.02.22