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Night seeker

 背へと回される両腕が不快だった。相手は逞しい歴戦の将だ、興奮しているのか知らないがこうきつく抱き締められては、骨の軋む錯覚に襲われても仕方がなかった。だがこんなことで文句を言っても興醒めだ、後孔を暴かれても笑っていたのだから。これもまた閨での礼儀だろうと、縋るように男の肩を抱く。感じ入ったふりをして頤を突き上げ天井へ視線を逃がせば、見慣れた景色が目に広がった。陶然として見上げるときもあれば苛立ちを持って睨みつけることもある、今は後者だ。へたくそと内心で男をひどく罵って、郭嘉は甘く鼻を鳴らした。
「どうかされましたかな」
「あん、っんぅ、いいえ、何でもないよ。ただ……」
 顔を肩口へ埋め額をすりと押し付ける。猫のような仕草で気持ちがいいと囁けば、中で性器が膨れ上がったのを感じた。力任せに腰を突き上げる男の動きに翻弄され、今度は男にしっかりと縋りつく。乱暴にするのがいいと思い込んでいる馬鹿だ。わざと喉から零す喘ぎで簡単に興奮し我を忘れる。扱いやすいという点ではいいが、戦場でもこうして猛進するようだと正直使いにくい。郭嘉はぼんやりと考えていた。せっかくの策を台無しにするのはいつもこういう血気盛んの直情径行な男だ。
「はあっ、あぁ、っい……い、いきそ、う」
 痛いと思わず漏らしそうになるのを懸命に誤魔化す。快楽に蕩けたような表情はわざとらしくなった気がするが、この男にはそれで十分だった。構いませんよと下卑た笑みが言って、何とか勃起だけはしていた性器を軽く扱く。痛みで萎えきってしまわないか心配だったが、流石にこの身体はもうすっかりできあがっていた。
「あは、っは、ありがと……」
 加減を知らない大きな手のひらが上下すると多少の痛みはあるが、やはりそこを弄られれば快楽が勝る。途方もない熱が神経を駆け抜けていく。慣れ親しんだ愛しい感覚だった。頭の芯に霞がかかった。もう十分だろう。ゆるりと手を持ち上げ、男の胸へ愛撫のように軽く触れた。汗だくになって必死で腰を揺すっていた男がふとこちらを見上げる。
「あ、い、いい、もっと……ね、そこは、いいから」
 やはり既にまともではなかった。この眸すら満足には働いていない、何者かの影がぼんやりと映っているだけである。思えばこの男、何度か話したことはあったはずだが、詳しいことは分からない。名前も知らない。たまたま郭嘉の目に留まったために、あまり意味のない行為に付き合わされた哀れな男だ。どうやら男はこれを性行為として楽しんでいるらしいので、哀れでないのかもしれないが。
 手のひらを顔へと滑らせて、親指でそっと頬骨をなぞる。目尻に唇を落とし、郭嘉はひとつ笑みを浮かべた。淫靡な挑発に乗った男の吐息が吹きかけられる。熱く荒々しいそれに背筋が震えた。ずくりと大きく腰を打ち付けられる。腹を突き破られるかのような獰猛さに恐怖を覚え腰が引けそうになると、男の太い腕が臀部を鷲掴みにしてしまった。
「ああっ!」
 深々と突き刺さる男根につい悲鳴をあげてしまう。前立腺を押し潰され奥を抉られ、瞼の裏にいくつもの光が散らばる。めまいを起こしそうな極彩色のそれに翻弄されながら、郭嘉は必死で歯を食い縛った。相手を煽る嘘ならいいが、自分の余裕のなさが伝わってしまうのは何より恐ろしい。苦しい呼吸と漏れそうになる情けない声を耐えながら、乱暴な責めに耐えるしかない。ぱしんと嫌に軽い音を立てて男の腰が尻にぶつかる。その風貌通りに逞しい性器が、腸壁を擦り取らんばかりに中を貫き這いずり回る。郭嘉はいよいよ意識の白み始めるのを自覚した。息がまともにできないせいもあって限界が早かった。
 隅の方からじわじわと黒くなる視界にしかし、確かに男の影を捉える。そこにあの男の顔を張り付けるのだ、主であり支配者であり、自分の飼い主を気取るあの男。体型が違うのは承知している、顔もここまで若くはない。見た目はまるで違う。決定的に違うのは、こういう閨での話しぶりや動き、やり方である。何一つ一致しない、満足しない。
 腹に濡れた感触が広がる頃、男が汚い声で呻き動きを止めた。どくどくと後孔に注がれる白濁を大事に受け取って、郭嘉は今度は満足げに天井を仰いだ。
「あぁ、っは……ふ、ふふ」
 やはりあの男以上の人間はどこにもいない。郭嘉はようやくそれを確かめるのである。そうして心の底から安心しきたところに訪れる睡魔に身を任せる。
「も、申し訳ありませぬ。今拭うものを」
「いいよ……ごめんね、もう行ってもらえるかな。私、疲れてしまったのだけれど」
 まどろみながらそう口にすれば、男は慌てて衣服を正した。本当に始末をしなくていいのかと問われた気がしたが、それに応じることはもうできなかった。滴る汗や精液もそのままに、溶けていく意識に身を任せるのが心地良い。

 名を呼ぶ声に応えて目を開けば逆さまの顔が一面にある。郭嘉は気怠く寝返りを打ちうつ伏せになった。いつも通りの主君の顔がこちらをじっと見下ろしている。しまったと一瞬だけ思ったが、いまさら誤魔化しようはない。諦めて浮かべた笑みはいつも以上に気が抜けていた。
「曹操殿におかれましては、ご機嫌うるわしく」
「おぬし、相変わらず悪い癖が治らんようだな」
 冷たい声が言った。このようなことで怒る男ではないが、流石にだらしのない尻を見られるのはこちらとしても決して気分がよくない。郭嘉はまた寝返りを打ち毛布を手繰り寄せた。早く起きて色々と処理をするつもりだったのだが、思ったより疲れていたらしい、曹操の訪れるこの夜更けまで寝入ってしまった。
「そのような姿では興も冷めるわ。今日はもうせんぞ」
「あなたも意地がお悪い。分かっておられるでしょう」
 すうと伸びてきた手に促されるまま顔を上げれば、節くれだった指が喉を撫でる。喉の隆起を確かめるようにくすぐられて、郭嘉はうっとりと目を閉じた。
「こうすると、私にはあなたしかいないとよく分かるものなのですよ」
 歌うように口にした言葉は事実だが、曹操はくくと喉を鳴らすだけである。こういうことにあまり真摯でない質なのは同じであるくせに、こちらばかり責めるのだから不公平だ。見つめて確かめるまでもない、曹操の眸にはきっと明らかな情欲の色がある。元々そういう気でここを訪れているのだから当然だ。だがあんなふうに意地悪を言われてしまっては、献身的な郭嘉であっても流石に奉仕の気持ちが薄れてしまった。
 お互いくすぶるものを抱えたままで夜を明かすのもまた良い。すべてを欲しいままにするこの男でも手に入らないものがあるとすれば、それは何よりも特別な存在だ。それが自分なら、なんと光栄で、幸福なことだろう。
「どうせすぐに、特別じゃなくなるのだけれど」
 男の手の触れたところから伝わる熱がじんわりと広がっていくのを自覚している。郭嘉は眸を閉じたまま、そっと微笑んだ。

2012.09.30