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自分勝手と自暴自棄

 隻眼の男はどっかりとあぐらを掻き、悠々きせるを噴かしている。こちらの話を聞いているのかいないのか、せっかく残ったその目すらも閉じてしまっては眠っているように思えた。孫市は恐る恐る男の名を呼んだ、これで返事がなければ寝ているということだ。つまりまたこの恥ずかしい話を頭からしてやらなければならないのである、それだけは勘弁して欲しい。ぽつぽつと胸の内を何のためらいもなく晒してしまって、今ようやく目の前の男がどうやら寝ているらしいことに気が付いた。それほど夢中で話していたのだ、話の内容が何であろうとそれだけで孫市にとっては恥であった。
 起きているのかを確かめるように政宗と何度も繰り返せば、聞いておると怒った声が返ってくる。
「何だよ、ならそれらしくしろよな」
「ふん、貴様の話が長うて飽いてしまったわ」
「眠くなっちまったってか、ガキだなあ」
 ぎろとひとつ目に睨まれて孫市は肩を竦めた。本当はもう少し言い返してやりたかったのだがこの眼だ、控えた方が良いだろう。
 孫市としても出来れば自分の雇い主である男にこんなことを話したくなどなかったのだが、まともに相談ができそうな相手がこの政宗しかいなかったのだから仕方がない。ここを追い出されては行くあてがないのだ。あの傾奇者に聞いたら大笑いされた挙句まあがんばれよと適当なことを言われそうだし、そこに上杉の家老が居合わせたらそれは愛だと目を輝かされたりしそうで恥ずかしい。可憐な少女に聞かせるような話でもなし、無二の友である秀吉などはこの気持ちをまったく理解しないに違いなかった。そもそも理解されたいわけではないだろうと、孫市は慌てて首を振る。秀吉に相談すれば、そりゃあ気がおかしくなっとるでと一蹴され終われたはずなのだ。それを良しとせずこのそういう方面にはとんでもなく寛大な男に話をしてしまったのはつまり、否定をされたくないのだろうか。
 頭の痛い話だ。恋煩いといえば聞こえが良いしその浮足立つような気持ちは独特で快いものだが、この場合その対象が悪い。
「困ったもんだぜ……」
「しかし、あの孫市がな。これは傑作じゃ、思いもよらなんだ」
 きせるで盆を叩きながら政宗が言った。他人事だと思って面白がっているのだろう、片方の眸と唇は質の悪い吊り上り方をして、その声音も心底楽しそうである。だが、馬鹿だとは言わないし、押し付けがましくこの気持ちを名付けたりはしない。それが孫市にはありがたかった。きっと相談というより、誰かに話を聞いてもらいたかっただけなのである。これからどうするつもりかとこちらを窺う眸を一瞥して、孫市は溜息を吐き出した。
 悩んでも仕方がないのは分かっている。この正体を孫市はよくよく知っていたのだから、後は認めてしまえばいいだけの話だった。そうなれば結果が残念であろうと何であろうと、一応胸はすくはずだ。このまどろっこしい葛藤にも片がつく。それなのに何を躊躇しているのかといえば、恥を忍び決心をして思いを告げたところで上手くいく可能性が限りなく低いからなのだろう。何せ相手が相手だ。別に懇ろになりたいわけではないし、むしろ受け止められても困惑するが、きっぱりと嫌だと否定をされるのも孫市には癪なのである。この色男が落とせない相手がいるなど認められるはずがない、そういう傲慢な思いがあった。まったく、面倒なことだった。
「馬鹿にするなよ政宗、おまえの腕なんか傷だらけのくせに。大体、俺のはそういうんじゃねえんだ……」
 孫市は再び重い息を吐いた。政宗はそれを一瞥し、宥めるように自身の手首を擦るばかりである。
「まあ、よかったよ、お前に話してちょっとは気が楽になったかな」
「わしを使うでないわ、孫市。貴様はどうせ、失敗したときにわしを責めるつもりであろう」
 やはりばれていたか、と孫市は内心舌を巻く。こうして話をしておけば、あのとき止めてくれればよかっただろうとこの男を責めてやることができる、そんな卑怯な考えがこの政宗に分からぬはずがなかった。
「誠実であれよ、孫市」
 貴様は浮気が過ぎる。子どもだとばかり思っていた相手にそう窘められてしまっては、色男の名も廃るというものだ。だが図星である。どうしようもなく耳が痛くて、孫市はなるべくなと適当に返事をしながらがりと耳朶を引っ掻いた。

 孫市は兵舎の一室を目指してゆっくりと、しかしまっすぐに歩いていた。こうなってはもう本人と話をして、自分の思考がまっとうであるかどうか確かめるしかないのだ。やると決めたからにはやる。年下に助言を請うておいて逃げるのはいくら何でも格好がつかない。あれが相手ならたとえ話し出せなかったとしても、お前と酒が飲みたくなったと言えばその場を和やかに済ますこともできるだろう。何なら多少の酒で互いに気分がよくなってから、冗談めかして言うのもいいかもしれない。とにかくこの決心が鈍らない内に片を付けるしかなかった。これ以上先延ばしにして思い悩むのも馬鹿らしい。相手が可憐な女性ならともかく、いくら美しくても郭嘉は男である。曹操の気に入りで、優秀な人間の多い魏軍の中でも一目置かれるような存在だ。
 そうだった、孫市は思わず足を止めた。辿り着いた先に郭嘉しかいない気になっていたが、こんな時間では恐らくその同僚たちも部屋で休んでいるだろう。その中に飛び込んで郭嘉だけを連れ出すのだ。周りは察しの良い人間ばかりである、変に勘ぐられてもまずい。また郭嘉が一人でふらついているときを狙えばいいか、思いかけて首を振る。もうすぐそこまでやって来たのだ、ここで引き返すのも馬鹿らしい。部屋にいるであろう人間たちの中で輪をかけて頭がきれるのが郭嘉だ、たぶん色々と察して上手く話しをつけてくれることだろう。行けばきっとなんとかなる。逃げてたまるかと、孫市は無理やり足を速めた。
 帳の向こうから数人の話し声が聞こえる。郭嘉の声までは聞き取れなかったが、夜も更けようというこの時間では皆就寝の準備をしているところだろう。まさかまた一人飲みに行ってはいまい、先日見かけた立っているのもやっとといったやつれた姿を思い出す。郭嘉は放っておくと顔色も変えずに恐ろしい量を飲み下してしまう。少量ならば薬にもなろうが、そのような飲み方をすれば身体がどうなるかはあの頭脳でなくとも容易に分かるはずだ。恐らく郭嘉もこの中にいる。
 意を決して帳を捲ってしかし、その姿は見えなかった。
「どうしたんだい、孫市殿。そんな鬼気迫ったような顔をして」
 夜着をまとった賈クが目を剥いた。
「ああ、いや、郭嘉を探してたんだが……どこにいるか知ってるか」
「郭嘉殿? まあ見ての通りここにはいないね。荀イク殿知ってるかい、おっと、やっぱり知らないか」
 突然の来訪にも関わらず賈クは親切に皆に郭嘉のことを尋ねてくれる。その様子をぼうっと見つめながら、孫市は心底で項垂れていた。せっかくの決意が無駄になってしまったのだ、肩透かしを食らったような気持ちである。懸念した通り郭嘉はあの体調で飲んでいるのだろうか、流石の孫市でも感心できなかった。
「ひょっとすると飯店か? あいつ、また酒飲んでるんじゃないだろうな
「あははあ、そうかもね……いや待てよ。そうだな、孫市殿、北の兵舎は行ったかい。今日は特に体調が悪そうだったから、そっちで休んでいるかもしれないね……」
 賈クは曖昧に笑みを浮かべた。
「俺はよく知らないが、あっちの方が寝台がいいんだってさ。郭嘉殿ってちょっと変わってるからね」
「俺から言わせりゃあんたも一緒だよ。まあ、ちょっと散歩がてら行ってくる」
 よく兵士にねだって寝台を借りているという一室を教えられ、孫市は賈クに感謝を述べて踵を返した。調子が悪いというのは気になるが、共に酒宴をする仲間として見舞いに行くくらいはいいだろう、こうなってはもう話をするかはともかくとして。目的は揺らぎつつあるが、ここまで来て顔を見ないままというのも納得ができなかった。
 夜更けらしい冷えた風が頬を叩く中、孫市はまたふらふらと歩き出した。不寝番らしい兵たちが火を囲んでいる姿を見かけたのを最後に人影を見ない。もうずいぶん遅いのだろうし、郭嘉も眠っているかもしれなかった。
 孫市は安堵していた、流石にわざわざ起こしてしまうのは悪い、どうせこんなものはくだらない用事だ。やはり天が今はまだ伝えるべきときではないと告げているのだろう。こっそり寝顔を盗み見て帰ろう、そう決めた。逃げ腰になってしまっていることはわかっていたが、なにせ調子の悪い人間に無理をさせるわけにはいかない。あんな色男だが、もしかすると寝顔はひどいものかもしれない。また次に見かけたときに茶化して話しかけるきっかけにはなるだろう。
 賈クに教えられた場所はすぐに見つかった。多くの兵たちがまとめて寝起きする大部屋が多い北兵舎にはめずらしい、こじんまりとした一室だ。寝台の質の良し悪しは知らないが、一人で眠っていても近くに人が多くいる分安心できるのかもしれない。気心が知れた曹操軍の同僚たちとはいえ、毎晩一緒に過ごしていては苦しいこともあるだろう。皆同じ状況ではあるが、自分だけひっそりと抜け道を作ってしまうのが郭嘉の要領の良さだ。酒か女か、何かしら上手く利用して良い寝床を手に入れたのだろう。
 流石郭嘉だと感嘆して、ふと、妙な音を耳にする。まさかなと思うが、遊び慣れた孫市にその正体が分からないはずがなかった。独特のあの、艶っぽい気配が確かに帳の向こうから感じられる。ごくりと唾を呑み込んだ。それが男女なら構わない、郭嘉も今日はうまく相手をひっかけたのだなと思うだけだ。
 何やらひそひそと話していて聞こえづらいが、ひとつは確かに郭嘉の声である。孫市ももう郭嘉と遊ぶようになって長いからそれを間違うはずがなかった、郭嘉は今度こそこの場所にいる。もうひとつの声は、果たして低い男のものであった。誰かは分からない、元々男になど興味がない上、連合軍には圧倒的に男が多いので、よく傍にいる政宗ら以外の声を孫市は知らなかった。
 ああ、と意味もなく細い吐息が漏れる。心臓の音が激しく鼓膜を打った。悲しみや怒りではなかった、ただ雷の落ちたような衝撃が全身に走った。わかっていた、それでも改めて胸に突きつけられる。くさびを打ち込まれてしまったかのように身体が重く、膝から下ががらがらと崩れてしまいそうだった。まさか、やはり、そんなはずがない、意味もなく言葉だけが錯綜する。
「あ、っん……は、あぁ」
 聞こえたのは嬌声だ、どう聞いても郭嘉のものだった。聞いたことがあるから確信できてしまった。微かに帳を開けて中を窺えば、白い脚が誰のものかもわからない浅黒い肌に絡みつく。ねだるように揺れて、寝台の敷き布へ不規則な波を作った。衣擦れの音と、荒い呼吸。濡れた空気が地を這いずるようにしてこちらまで伝わってくる。突如込み上げた嘔吐感に孫市は慌てて口元を押さえつけた。悲鳴が上がるか胃液が上がるか、どちらにしてもそうしなければ耐えられなかった。ぐらと身体が傾いだのを感じて、慌てて身を隠すようにして蹲った。ここで倒れては気付かれてしまう。恐らく郭嘉を貪っているであろう男に、この姿を見られるのは惨めすぎる。
 肌のぶつかる乾いた音は次第にその間隔を早くして、それに伴って激しさを増す吐息に二人の限界が近いことを知る。耳を覆うべきか、嘔吐しそうな口を押さえてやるべきか、孫市にはわかるはずもなかった。
 郭嘉は救いようもなく節操がない。男を相手にしたがるその精神は理解したくないが、そういう性癖であることは十分にわかっていたことだ。それでも動揺は止まらなかった。くそと吐き捨てたところに、一際高い喘ぎが重なった。白い脚がゆるゆると力を失い弛緩していく。囁き合うのは睦言だ、くすくすと軽やかな笑い声は郭嘉だろう。確定的だった、合意で行われた行為であるのだと孫市をせせら笑っていた。
 ややあって、大柄の中年の男がひとり部屋を後にする。機嫌がいいのだろう、鼻歌混じりに巨体を揺らし去って行った。残されたのは、郭嘉ひとりである。孫市は男の揺らした垂れ衣をしばらく見つめると、意を決して立ち上がった。
 来訪を知らせるように乱暴に帳を開けてその名を呼び声をかけるがしかし、驚いたようすもない、いつも通りの穏やかな笑顔がこちらを振り向く。
「孫市殿、どうしたの。こんな時間に、こんな場所まで来てしまって」
「……それはこっちの台詞だろ、郭嘉」
 郭嘉はいかにもわからないといったような顔をしてうんと伸びをすると、気怠げに髪を掻き上げた。自身の汗やきっと他の体液にも濡れたそれは金の色を濃くし、匂い立つような色気を放っている。情事の痕を隠そうともしない、まともな男でも胸が高揚するような、あまりにも淫らな姿であった。男なんてもう二度とごめんだと思う孫市でさえ先にこの男が遊んでいる姿を垣間見ていなければ、この部屋を満たすにおいを感じていなければ、ころりと騙されてしまったかもしれない。
「なあ、お前何でそんなことしてんだ」
 何のことかなと笑むのが憎たらしい。爽やかで人好きのする笑顔だと思っていたはずだが、もう何の魅力も感じられなかった。
「その口でどうしてまともに軍師をやってられる。策なんか真面目ぶって話せるんだ?」
 自身が触れた郭嘉の、あの慣れきったやり方を思い出す。僅かに身体を重ねただけでも本当にこの男がどこかでそういう爛れた遊びを繰り返しているらしいことは感じられたし、それでもいいと決意していたはずである。だが、上も下も関係ない、間違いなくあの口はああしていくつも男根を咥えているのだ。そう思うと、また腹の底で胃液が波立つようだった。この男は何故嫌悪がないのだろう、自分はこうも吐き気に襲われているというのに。
 言い訳でも話し出そうとしていたのか、郭嘉が口を開こうとする。制するように眼前へ手のひらを突き出せば流石に怯んだようだった。その口端にどろりと重い液体が伝うのを見てしまったのだ。いつも笑みを浮かべているあの眸が、珍しく戸惑いに揺れたのが窺えた。
「汚ねえよ……触られたって思うだけで鳥肌が立つ」
 郭嘉は瞠目する。止めろとどこかで自分が叫んでいるのはわかっていたが、もう止められるはずがなかった。
「俺は男なんかとしたくねえんだ、自分が衆道に走りかけてるってだけで怖気がするのに!」
 考えてみれば馬鹿なことだ、どれ程美しくても郭嘉は所詮男だ。どんなに話が合っても友人の域を抜けるはずがない。やはり秀吉に相談をしておくべきだった、あの男ならばこの当然の事実をすぐに突きつけてくれたに違いなかった。不快なものを見て気分を悪くする必要もなかったし、何より、こうして郭嘉を傷つけずに済んだ。
「お前はおかしい、狂ってるよ、どうしようもない変態だ」
 そう言って、孫市は髪を掻き毟る。詰っているのか詰られているのかわからない、吐き捨てたはずの言葉が頭の中をぐるぐると暴れ回っていた。頬から顎へ何かが伝い、地面に落ちて吸いこまれていく。額から流れた冷や汗に違いないと孫市は強く思った。
「二度と近寄らないでくれ。俺までおかしくなっちまう……!」
 郭嘉のこの悪癖はきっと今に始まったことではない。そもそも彼自身はこれを悪いことなどとはもう思っていないだろう。おかしいのは自分だ、孫市はぽつりと呟いた。もう限界だ。
「そう」
 散々に罵られてしかし、男の声は恐ろしい程に冷静であった。虚勢などではなかった、恐る恐る見上げたその真っ白な面にはいつもと寸分違わぬ笑顔があったからだ。
「孫市殿が私を気持ち悪いと思うのならそれでいいのだけれど……今度の戦、指示だけは守ってほしいな」
 郭嘉は言った。
「あなたは聡明だ。もし勝手な行動をしたら、どうなるかはわかっているはず」
 一瞬見せたあの動揺が嘘のようだ、この男の場合、もしかするとそれは本当に嘘だったのかもしれなかった。郭嘉のあの華やかな顔で飾りつけた頭の中で何が起きているのかは、きっと誰にも計り知れない。
 孫市はそれに恐怖を覚えていた。とんでもない男と行動を共にしていたらしいことにようやく気が付いていた。そして、それに気の迷いでも思いを寄せてしまった自分に腹が立った。こんな世界でも酒と女を嗜み遊び歩く色男として、皆からは気の合う友と認められていたし、孫市自身もそれを疑っていなかった。だが郭嘉はそんなものではない、そういう素敵な何もかもよりも戦を愛する、美しい悪だった。妖蛇討滅を目標に掲げ共に戦う仲間であるから渡り合えるだけで、本当に敵対していたとしたら、その得体の知れないおぞましさに圧倒されていたに違いない。
「私も、雑賀衆の腕に期待をして策を立てたんだよ。ああ、もちろん孫市殿個人にもだけれど」
 汚れた口元を拭うようにそっと手を添えて、郭嘉は柔らかく笑んだ。
「それから……ごめんね、今のあなたに言うのは酷なのだけれど。何かあったら、私のことは」
 あなたしか頼める人がいないんだと、あの口がしおらしく続ける。少し前の孫市ならば胸を高鳴らせていたかもしれなかった。曹操軍の人間にではなくこんな自分に、と浮足立っていたかもしれなかった。そうして戦に励むことを見越して郭嘉はこの言葉を用意していたのだろう。だが今の孫市にそういう感情が湧き上がるはずもなかった。もうまともに郭嘉と向き合うことすらできそうになかったのだ。
 それでも、軍師を守ってやるのは傭兵としての役目のひとつである。わかってるよと乱暴に応じる他なかった。そうでなければ、他の人間からの雑賀への信頼にひびが入ってしまう。
 踵を返して孫市は考える、おねがいと囁く、あの弱々しい笑顔を見た男が一体何人いるというのだろう。自分もたまたま郭嘉の近くにいたから都合よく利用されただけだ。元々自分は傭兵でしかない男なのだ、他人に利用されるのが当然だった、一喜一憂するのが馬鹿だ。雑賀孫市という男は、ただひたすらに仕事をこなすだけなのだ。依頼主が何をしていようと知ったことではない。あの身体を抱いてしまったのも、恋心なんてものを抱いてしまったのも、きっと戦でよくある軽い怪我のようなものだ。そんなことで銃口をぶれさせては雑賀の名が泣く。そう思うと、ざわついていた胸が急激に冷えて落ち着いてくのがわかった。これならば、軍師が望むように戦働きをすることができるだろう。
 ただ、今夜は上手く眠れそうにない。眠気を酒でごまかすしかないが、きっと今までになくまずい杯になるであろうという確信が、孫市にはあった。


2013.01.19