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散らばる恋ごころ

 なんとくだらない感情だろうか、これはみにくい嫉妬に違いない、そう呆れてやりたいのに頭をもたげはじめた恐怖を自覚せざるを得なかった。鍾会は頬を舐る舌にまったく反応を返さずにいながら、内心はまるで穏やかではなかったのだ。周りを囲む男の顔を、ひとつひとつ睨むようにして確認する。羽交い絞めにして身体を押さえ付けてくるこの若い男は、先日失脚させてやった文官の弟だったか甥だったか。武一辺倒の臣らしい見知らぬ屈強な男もいれば、普段から高飛車が、青二才がと陰口を叩く枯れ枝のような爺たちもいる。
 才に優れた人間は無能に恨まれるのが常だ。うらみつらみを跳ね除けて、自らの才知だけに頼ってここまできた。今では司馬昭からの覚えもめでたく、子房と呼ばれるに相応しい働きができると自負している。孤立や、敵が生まれることなど覚悟の上だった、鍾会には自分だけが特別優れているという自覚があった。周りと違うということは、迫害されても仕方がない。自分を適切に評価してくれるあの男がいる限り、どのような陰湿な仕打ちにも耐え得ると考えていたのだ。
 しかし、いくら何でもこんなことは想定していなかった。房中術にだけは明るくない鍾会だが、頬を舐める男の股座が熱り勃っているのを目にすれば、どのような折檻を受けるのか嫌でも見当がつく。
 普段から憎い憎いと口にする相手を前に、よくもまあ阿呆のように勃たせるものだ。それくらい言えればよかったのだが、男の舌は今や唇をこじ開け歯列を舐め回しているのだから、鍾会のよく回る舌がまるで動かずとも仕方はなかった。こういうことに対して不快感を露わにすれば負けだ。何もせずともくってかかってくる手合いは無視するに限る。鍾会は懸命に無表情を作った。しかし興奮しているらしい荒い鼻息がかかる気持ちの悪さに肌という肌が粟立ち、びちゃびちゃと汚らしい唾液の音を立てる接吻が嫌悪を催す。思わず眉根を寄せれば、下卑た笑い声が耳朶を打った。ようやく口を離した男だがその年老いた顔はやはり、表情を出してしまった鍾会を嘲るかのように歪んでいた。
「っは、はあ……くそ、見ていろ。貴様ら、絶対に私が」
 ここで弱音を吐けばそれこそ終わりだ、思って気丈に言い放とうとする唇を今度は別の男が覆う。言葉後を奪われた鍾会は、あまりの屈辱に強く歯を食い縛った。大きく開いた口は唇の周りまですっかり覆い、べろべろと肌を舐め回した。薄い下唇をしゃぶられて背筋に嫌な感覚が走る。そうして十分に唇を味わった無遠慮な舌が硬く閉じられた歯列に辿り着くと、男は鍾会の鼻を摘んでしまった。しまった、思って額にじわと冷や汗が滲む。口は覆い尽くされ、鼻から息をすることもできない。頭を振り乱し逃れようとしても別の男に押さえつけられてしまう。どうしようもなかった。苦しさに喘ぐ歯を割り開いて、男の舌が捻じ込まれる。情けのつもりか僅かに解放された唇の隙間から必死で空気を吸い込む。そうしなければ息ができず死ぬと分かっているのに悔しかった。
「んぶっ、ん、うぅ、うーっ……!」
 せめてと逃げ回る舌も男のそれに捕えられてしまった。傍から見れば互いに舌を絡ませ合っているかのように見えただろう。じゅるじゅると音を立てて舌ごと唾液を啜られると、寒気や嫌悪ではない感覚が身体を走り抜ける。その正体に気付きたくなくて、鍾会はきつく目を閉じた。もう、すべて夢だと思い込むしかないのだ。
 不意に右腕を強く握り締められ、鍾会は怯えに目を見開いた。傍でやけにねっとりとした目でこちらを見下ろしていた男だ。右手が股座へと導かれる。勃起しきった陰茎の熱が恐ろしくて腕を引こうとするが、将らしい男の逞しい腕では鍾会の白く細い手など簡単に潰してしまえるのだろう、腕の骨がぎしと軋むような感覚に片目を窄めるだけに終わった。男は鍾会の手に性器を握らせると、先を促すようにまた逃げられないように、もう一度強く腕を握った。しぶしぶそれを扱けば冷たい笑い声が降ってくる。辱めを受けるより腕を折られる方が面倒で恐ろしい、なるべく早く終わらせて身体だけは無事に戻れればいい、そう思わなければ気が狂ってしまいそうだった。左手にまで握らされた陰茎を握り潰せるはずもない。顎からどちらのものともつかぬ唾液をだらだらと垂らす下品な接吻を繰り返しながら、勝手が分からないのに両手で必死になって男の欲望を高めている。そんな惨めな男が自分だと、鍾会は到底信じられなかった。それでも根元から先端へ扱き上げる度、亀頭から溢れる体液が手のひらを確かに汚していく。あの両手はこんなことのためにあるのではない、自分が望む地位につくため一心不乱に努力をするためのものだ。
 低く唸った男がかくかくと腰を振る。下手な手つきに焦れたらしい、鍾会の手を振り払って自分で陰茎を扱き始めた。その様子を見て、接吻をしていた男がようやく唇を解放する。酸素を求めて喘ぐ唇に今度は男根が押し付けられ、弾けた。
「あ、あぁ、う」
 視界がぶれる。焦点が定まらなかった。ただ嫌なにおいが鼻をついた。放心する鍾会を余所に、左手を捉えていた男もまた射精した。唇に頬にじっとりと絡み付くこの重たい液体は、間違いなく精液だった。ゆっくりと這うようにして頬を伝っていくそれに、一粒涙が混じる。
 これまで笑って見ているだけであった男たちが、群がるように近付いてきた。勃ち上がった陰茎を我先にと押し付けてくる。太く赤黒いそれが唇を穿った。両手に二本の性器をまとめて握らされ、それでも余った分は額や頬、髪にまで押し付けられる。
「ん、ぐぉ、お、がっ」
 喉を突く性器にえずいても男の腰は止まらない。咽頭を犯し尽くし、食道まで貫かんばかりに腰を突き出す。反射でごぷりと唾液が溢れ、口端からだらだらと零れ落ちた。生臭い独特のにおいが身体中に染みついて一生離れないような気がする。人に対する扱いではなかった。こんなもの、性欲処理の玩具よりひどい扱いだ。見開いた目から零れる涙が止まらなかった。口淫させられているせいで言葉も発せない。やめてくれと胸の中で叫ぶばかりの自分を情けないと思うことすらできなかった、ただひたすらに解放されたいと願うばかりだった。
 どれ程経ったのか、数えきれない程の陰茎が次々に精を吐き出す。咥内に、頬に額に髪に、びちゃびちゃと白濁が降り注ぐのを呆然と受けるしかなかった。身体を支えていた若い男が離れ最後とばかりに白濁を浴びせかけると、鍾会はくたりと床に倒れ伏した。立ち上がろうにも手足に力が入らなかった。何も言わず気にしていないふりをしてこの場を静かに去り、いかにしてこの男たちを貶めるか考えればいい。いつもの鍾会の能力にかかれば、彼らをまとめて讒言してやる方法を思いつくことなど簡単だった。だがそうして無関心を装うには、鍾会はまだ若く未だ性的には成熟していなかったのだ。
 呼吸はか細く、ぼんやりと見開いた眸からは涙が零れ落ちる。男たちはこれ程惨めな姿にしてなお鬱憤が晴れないのか、ぐったりとした鍾会の長い後ろ髪を鷲掴むと無理やり顔を上げさせた。その痛みに顔をしかめることすらできない。精液まみれのみにくい身体をただ晒す鍾会に、嘲笑が浴びせかけられる。傲慢な態度だからこうなるのだ、これに懲りたら大人しくしろ、口々にそう言った。
 それにしても汚い髪だな、頭を持ち上げていた男が唸った。毎晩丁寧に櫛を通し大事にしていたその髪もまた体液のせいでべたべたになり、歪な束を作っていた。貴様らのせいでと責める気力は当然残っていない。汚れてしまった、見るに堪えない、そう謗るのを鍾会はただ聞いているしかなかった。
「何、切ってしまえばいいだけのこと」
 目の前に白銀の刃が閃いた。丁寧に磨き上げられたそれに、汚らしい自分の顔が映っている。鍾会は目を見開いた。青い紐でゆるく括ったところに、そっと剣が宛がわれる。
「や、やめろ、そんなこと、許さんぞ!」
 ここまでされても変わらぬ高慢ないつもの物言いに哄笑が起こった。男たちの目が笑みの形に恐ろしく歪み、切れ、切ってしまえと囃し立てる。暴れて逃げようとしても身体は脱力したまま、まともに動けもしないのに男たちが圧し掛かっているせいで身じろぎすらできない。
「やめ、て」

 胃液が泡立つような感覚に襲われて苦いものが込み上げてくるのを抑えられなかった。気を失いそうな気持ちの悪さに動けないまま、鍾会はその場で嘔吐をした。腹の中に何もなかったのか、口から零れるのは胃液だけだ。鼻を突くにおいと共に喉を逆流し、びちゃびちゃと音を立てて床を汚したそれを呆然と見つめていた鍾会は、ふと顔を歪めた。今のように吐き出すことを許されず喉の奥に叩き付けられた生臭い体液は、もうこれに溶かされてしまったのだ。
 みじめだった。涙が零れそうになって、誰に見られるわけでもないのに顔を覆った。自身の肌に、肉に、あの男たちの白濁が染み渡ってしまっている。なんとおぞましいのだ、思ってまた口から胃液が溢れ出た。
 無能はこれだから困る、集団で暴行に及ぶという野蛮な行為をしなければ、才能あるものが恐ろしくて堪らないのだ。だから、子房と称される自分はこういう目に遭う。仕方のないことだ。一生分かり合えない屑の嫉妬などどうでもいい。焦点のずれた目を見開いて、ぶつぶつと呪詛のようにそう呟く。そうすることしかできないのだ、あのとき抵抗しきれなかった自分はもう汚されてしまって、効きもしない呪を吐き出すことしかできない。情けなくて苦しくて、汚れた水たまりに崩れ落ちそうになる。がくがくとみっともない程に震える脚を何とか叱咤して、鍾会は立ち上がった。出仕をしないでいるわけにもいかない。刻限に遅れることなどない自分だ、いつまでもぐずぐずしていては怪しまれてしまう。
 傍らに落ちていた青い紐を手に取り、いつも通りに髪を括ろうとして思い出す。そういえばやけに頭が軽い。ふと振り返れば自身のものに間違いない淡いくるみ色の髪が散らばっていた。ああと喘げば、昨夜の光景が鮮明に蘇る。
「……べつに、ちょうどいい。長くなって、うっとうしいと思っていたところだ」
 自分に言い聞かせるようにゆっくりとそう口にする。役目を失った手の中の鮮やかな青が虚しかった。
 
「これは、鍾会殿」
 書簡を脇に抱えた大男の姿に鍾会は内心舌を打った。今日だけは会いたくなかった男だ。汚い身体をこの男の前に晒しているかと思うと居心地が悪く、また腹の中で胃液が暴れるような気になる。鍾会はつんと顎を上げて男を見下すようにして言い放った。
「トウ艾殿、私に構ってる暇があったら、その大量の書簡をどうにかしたらいかがです」
 トウ艾もこうした口ぶりに慣れているため、軽く笑うだけである。ではそうしようと大人しく行ってくれるかと思ったのだが、立ち去る様子はない。こちらをじっと見つめる視線に、鍾会は思わず身じろいだ。
「どうしました」
「いえ。鍾会殿、髪をお切りになったのですな」
 心臓が跳ね上がった。乱暴に切られていたのを簡単にだが自分で整えたため見目が汚いことはないはずだが、あれ程長かった後ろ髪がなくなれば流石に気になるだろう。この武骨な男にそれを指摘されたのが悔しかった。昨夜の恐ろしい体験を覗き見されるような気がして、ぞっとしたのだ。
「ええ、ずいぶん長かったでしょう。うっとうしくなったので切りました」
「そちらの方が、さっぱりとして良いと思いますな」
 聞いてもいないのに感想を述べたトウ艾に、鍾会はふんと鼻を鳴らした。これ程髪を短くしていたことは幼い頃から一度もないが似合わぬはずはないのだ。当然だなと頷くと、トウ艾はおずおずと言葉を続けた。
「ですが自分は、前の方がらしくて好きでした」
 目を見開く。好きという言葉にはにかんでいるのか、軽く笑んで頬を掻いた男は、鍾会の動揺に気付く様子もない。
「そのうちこちらに慣れるのでしょうな。ああ、その頃には、また伸びているかもしれませんが」
「……べつに、あなたに気に入られたくて切ったわけじゃないんですから!」
 そう叫んで、鍾会は一目散に自室へ逃げ込んだ。ぼたぼたと零れ落ちていく涙を止める術があるはずもなかった。穢されてしまった身体を批難されたように思えて、胸が砕けそうに痛かった。

2012.09.10