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うそつきのつき

 天に昇り詰めるようだ、他にはない圧倒的な幸福だと言う人がいるが、あれは嘘だ、そうでなかったらそんな感覚などは人によるものなのだ。鍾会は荒い吐息が耳朶を打つのを苛立たしく感じながら、震える身体を必死に慰めていた。鬱陶しいことに腹の中にある男は呻きながら汚らしいものをぶちまけている最中だし、太すぎる腕を腰に回したまま動く気配もない。舌打ちをしたくなるのを堪えて、鍾会は俯く。吐き出した息が満足げに聞こえてしまわないかが不安だった。よがっていると誤解をされてもう一度などと言われたら、今度こそ本当に死んでしまう。受け入れるのはただでさえ苦しいというのにこの男の性器は凶悪だ、将にしては華奢だと言われる鍾会がこうして不快感を覚えても仕方はなかった。
 しかしながら、そういうものを悟られないようにするのも閨での礼儀だろう。一応こんなことをする仲になってしまったのだから、それくらいの気遣いをしてやりたいという気持ちは流石の鍾会にもあった。意味なく触れられることすら気持ちが悪いというのに、大人しく抱かれてやっているのだ。彼ばかり動かしては申し訳がないのでやり方が分からないなりに奉仕はしてやるし、聞きたいと言うので恥ずかしい声だってなるべく抑えないようにしている。鍾家の人間がするにはあまりにも屈辱的なことばかりだったが、共寝をする仲の相手ならば、お互い気持ちよくことを終えるにやぶさかではない。そのためにどれ程鍾会が妥協をしてやっていることか彼には分からないだろうし、どうせ考える気すらないのだろう。だがそういう涙ぐましいまでの努力だ、鍾会は平伏して感謝してもらってもいいだろうと考えていた。今すぐにひれ伏せと命令できればすっと胸がすくことだろう、この大男が額を床にこすり付けて縮こまる姿はどれ程素晴らしい光景だろうか。
 などとできもしないことを考えて意識を散らそうと努力をするが、そう簡単にこの恐怖は拭えるものではなかった。絶頂に達するときの感覚を鍾会は恐れている。勝手に高いところへ連れて行かれて突き落とされる、自分の自由になる瞬間は一度としてない。手足の末端にある神経のひとつひとつまで奪われたような気になって、身体が言うことを聞かなくなるのだ。馬鹿のように声をあげていた喉が痛くて、けふとひとつ咳き込んだ。大丈夫かと顔を覗き込もうとして男が身じろぐと、中に埋められたままの性器が前立腺を抉る。
「ああっ! っや、め」
「す、すまない、鍾会殿。苦しくはないか」
 射精を終えたばかりの無防備で情けない顔が言う。こうなれば彼は図体が大きいだけのでくのぼうだ、怒鳴ってしまえばいいものを、べつに平気ですとしおらしく頬を染めてしまうだけなのだからなんと健気なのだろう。鍾会はこっそりと自分に呆れ返った。
 彼がそっと肉棒を引き抜いた。これ以上刺激を与えないようにと気を遣ってくれたのだろうが、それでも大きすぎる異物が抜けていく感覚には声があがる。呻く程度で止まればいいが、間違って排泄をするときのような気分になってしまうと、他人にそれを見られているという妙な錯覚に鍾会は陥ってしまう。そういうときこそが最悪だった、今はそれだ。
「っふ、うぐ、あぁ……」
 歯を食いしばる。何のせいか分からぬ涙が零れそうだった。泣くのを堪えた代わりに、ぐぽと不愉快な音を立てて尻から精液が溢れ出る。絶頂以上に恐ろしいものはないが、このおぞましい白濁はいつも鍾会の背を震えさせるものだった。目的もなく吐き出されて次第に冷えていくそれが、まるで死体のように思えてならないのだ。
 拭いましょうと言って伸ばされた手を払い、ようやく解放された身体で必死に立ち上がる、一刻も早く、この恐ろしい人殺しの下から逃げ出す必要があった。腰に力が入らず、上手く歩くことができない。それを叱咤し、肩を壁へこすり付けるようにして何とか男から距離を取っていく。躍起になって逃げる鍾会をあざ笑うかのように寝台にあぐらを掻いたまま悠々として動かない彼が、そっと声をかけてきた。
「鍾会殿、自分が早めに起こしますから、ここで休んでいかれては」
「け、結構です。もう帰りますから、構わないでください、平気ですから」
 鍾会はあからさまに怯え、早口にそう言った。どうせこの男は、部屋から出ていくところを見られてよからぬ噂が立たないか、鍾会は心配なのだと考えているに違いない。そのような心の狭い理由で自分が焦ったりするものか。鍾会は大きくひとつ舌を打った。それが彼にも聞こえたのだろう、まるで応えるように深いため息が聞こえた。
「脚が震えておられる」
「今日は月が美しいですから、見ないでおくわけにはいきません」
 月を、と間の抜けた声が問うた。教養もない、風情の分からぬこの武骨な男には理解し難い理由だろう、だから良いのだ。月見をするからこんなところで眠っている場合ではない、言えば、彼は曖昧に頷き身を引いた。
 最早引き留めることもなくなった男に背を向け、鍾会は痛む足腰を押して走り出した。まともに動かないから無様な姿だっただろう、だがこのやけに暗い夜では誰かに見つかることもない。なりふり構わず逃げ続け自室の寝台へ倒れるように飛び込んで、差し込む灯りのないことに気が付いた。ようやく上げた視界に映る空は分厚い雲に覆われていて、光のひとつもあるはずがなかったのだ。

2012.10.24