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キスまで最後_サンプル


P3〜
 耐えられないとばかりに高い声をひとつ、わざとらしく歯を食いしばってみれば熱い吐息を首筋へ感じる。その獣のような荒々しさについ笑みが浮いた、なんと単純な男だろうか。背骨をなぞるように舌が這って、濡れた感触だけが後に残る。興奮した低い声音がこの名を呼ぶのは嫌いではなかった。答えるように振り返って、指先で男の顎をくすぐる。すぐさま唇へむしゃぶりつこうとするのを焦らすようにぺろりと上唇を舐めてやって、いやと囁いたのも戯れにすぎない。そう言ったくせに後孔がひくついたのももちろん知っている。
 執拗に接吻を迫るのに呆れて受け入れてやれば、きつい酒のにおいが鼻腔を抜けた。頭の芯が痺れる香りだ。舌を絡ませるとまだ微かに酒の味があった。夢中になってそれを啜れば、求められていると勘違いしたらしい、男が勃起した男根を尻へ押し付けてきた。郭嘉様、郭嘉様と縋るように繰り返すのがおかしい。まるでおあずけを食らった犬だ、かくかくと腰を押し付けてくるのもそれらしい。大柄でひげが濃い、となると毛足の長い大型犬だろうか。そう思うと急にこんな男でも愛しくなるから不思議だった。
「ね、待ってほしいな、私まだ……」
 男は最早聞く耳を持たない、後孔を亀頭が押し開くと、流石に息が詰まった。何度しても慣れることはないが、この息苦しさこそが自分を夢中にさせるのだ。郭嘉は微かな吐息を吐き出しながら、ぼんやりと考えていた。馬鹿のように誰彼かまわず誘いをかけ、宴の熱に任せて身体を投げ出す。その苦しさを耐えた先にある性感は堪らないものだった、女を抱くときには味わえない被虐じみた快楽がある。男の体臭や唾液が混じった酒がまたいい、ただ流し込むよりよっぽど強い酩酊感が味わえた。
「あ……はっ、あぁ、っん」
 腰を鷲掴みにされ、奥まで性器が挿入される。弱いところを先端の段差が擦り上げていくと、ぞくぞくとする快感が駆け巡り身体が震えた。思わず仰け反った背を支えようと、両手が必死に木の幹に縋りつく。樹皮へと立てた爪が削れたような気がして痛い。思わず苦痛の声が漏れたが、それをこの男は知らないだろう。
 男ははあはあと濡れた息をだらしなく吐き出しながら、一心不乱に腰を振るだけだ。背に覆い被さって太い両腕を腹に回し、逃げられぬように抱き締めてくる。ぐと下から突かれ、体格差のせいか下半身が浮いてしまった。足が地に着かず、樹木に縋る両手と性器を受け入れる後孔だけで身体を支える格好になる。奥を貫かれ、目の前に真っ白な光が明滅する。
「うぅっ。そんな、あっ、はげしい、よ……」
 やめてとか細い声を出せば、男は下卑た笑い声をあげ腰を突き上げる。嗜虐的な男は嫌いではないが、あの主が認めてつれている兵にしては柄が悪い。こちらから誘いをかけたのだし、こんな楽しいことから今さら逃げるはずもないのにわざわざ抱き締めるなどして、信用されていないらしいのも気分が悪かった。郭嘉は少し不快な気分になって、自身の左手首に光る腕輪をじっと見つめた。明かりがないせいで鈍い光を返すそれに、ぽたと自身の汗が落ちてしまって、ぞわと寒気がする。
 こうして何かと粗を見つけ出すと駄目なのだ。悪い癖だと郭嘉は自覚しているのだが、それを直すのは簡単ではない。火照った身体も次第に冷めていく。それでも誘ったのだから、最後まで楽しませてやるのが礼儀だ。元から演技でしかなかった喘ぎ声は、ただ媚びるだけの音に変わってしまった。それでも満足しているらしいのだからこの男は本当に馬鹿だ、楽で良いが。
 後孔を暴く男根が与える快楽は十分満足できるものであったが、この男はもういい。こうして身体を交わすことなど二度とないだろう。持て余した熱を吐き出せさえすればいいのだから相手などどうでもいいが、やはりこれだけ下品だと心は萎える一方だった。腰を打ち付けられる度身体は昂ぶるのに、意識は変に覚醒をしていく。
 おざなりに腰を振って男に応じてやりながら、ふと郭嘉は視線を横へ向けた。この林を抜けたところにある幕舎では、流石に宴も終わった頃だろう。戦勝に浮かれた男たちは飲み食い歌い、遊び、惰眠を貪っているはずだ。好色なものはこうしてまだ起きているかもしれないが、多くは眠っていることだろう。だというのに。郭嘉は僅かに瞠目した。人影がこちらをじっと見つめている。酔っ払って排泄をしているのかとも一瞬は思ったが違う、確かに突き刺さるような視線だけがあった。こちらから相手の顔や形は見えない、陣地の松明の明かりに照らされるせいで濃い黒影になっていた。向こうからは窺えるのだろうか。相手を煽るためにある程度声をあげていたとはいえ、向こうに響く程の声量ではないはずだ。あまり駐屯地から離れずかつ人目につかないところまで入り込んだつもりだが、あれは確実にこちらを見ているに違いない。じっとりと額に汗が滲んだ。嫌な汗だった。
 ふと男が呻いた。あまりの緊張で身体が強張り後孔を締めてしまったせいで、限界を迎えたらしい。腹の奥にどくどくと音を立てて精液が注がれる。来るという予感がなかった。思いがけず弾けた熱に中を侵され腹を満たされていく感覚が、身体を深みへ突き落とす。先端から溢れた白濁が性器を伝い、地面にぼたぼたと落ちていった。閉じられない口から唾液が零れて顎を伝う。中を穿たれて得る圧倒的な絶頂に震えながら、郭嘉は何とか笑みを浮かべた。
「あ……っ、あぁん、だめ、だったら、いきなり……」
 屈辱だった、あの影に気を取られていたせいだ。無意識だろうがより奥へ吐き出そうとして、男が腰を突き出し亀頭を擦り付けてきた。執拗なそれに再び熱が灯りそうになるが、きゅうと唇を噛むことで耐える。
 誰かも分からぬ相手が見ているし、視線が交わったに違いはない。無駄かもしれないがしないよりはいいだろう。重い身体を必死に動かし、右手の人差し指で濡れた唇に触れる。向こうには聞こえないとわかりながらそっと、しい、と囁いた。それを目にしたせいなのか単に飽いたのか、人影はさっと踵を返して去って行ってしまう。射抜くような視線を向けていたくせに呆気ないと郭嘉は眉をひそめたが、やはり見られるのは緊張していたらしい、深い安堵の吐息が漏れた。
 それを充足へと受け取ったらしい男は、こちらの負担も考えず乱暴に男根を抜き取ると気持ち良かったですと嬉しそうに一礼した。身体を離されて、ようやく地に足が着く。郭嘉は密かに歯を食い縛った、こんな男との性交に感じて崩れ落ちるようなことは矜持が許さなかった。視線がひとつ多くて混乱し、上手く快感を調節できなかったからいけない。がくがくと震えそうになる足を叱咤しながら、にこやかな笑顔を浮かべる。愛想の良い表情を見せても、もう行くね、ありがとうとの言葉は自分でも恐ろしいくらい冷たく、取り付く島もなかった。あの男はやはりもう駄目だ、性器そのものややり方に文句はないが性格に問題があるし、何よりもしまた身体を重ねても、きっとあの見知らぬ視線がちらついて仕方がないだろう。そうやって掻き回されるのはごめんだ。自分のしたいようにならない行為は苦痛でしかない。
 男と別れ、崩れないよう必死に足を引き摺って行く。皆を起こさぬよう密かに幕舎へと戻れば、飲み疲れたらしい同僚の軍師たちが暢気に眠っていた。
「ああ……馬鹿みたい」
 ぽつりと呟いても誰一人として起きてこない。郭嘉は深い溜息を吐き出し、静かに毛布にくるまった。


P24〜
 差し込む光に眉をひそめ、郭嘉はゆっくりと眸を開く。帳を持ち上げ、こちらを覗き込むのは賈クだ。
「おっ、起きたかい郭嘉殿。とっとと支度しないと曹操殿に置いて行かれるよ」
 郭嘉は慌てて身を起こした。腰の痛みに倒れそうになるのを堪え、辺りを見回す。同僚たちが眠っていたあの幕舎だ。今は誰一人として眠っておらず、郭嘉だけがぼんやりと座り込んでいる。賈クの言う通り、ここを発つ時間が近いのだろう。昨夜は珍しく気を失ってしまったから、恐らくあの中の誰かがここまで自分を運んできたのだ。それが誰かということではなく、ここに眠っていた軍師たちに見られていないかが心配だった。
「賈ク殿、あの……」
「何だい、ひどい声だね! こりゃ本格的にこじらせちまったかな」
 言われて首を傾げた。賈クが喉を指し示したので、郭嘉は苦々しい顔でそこを擦った。昨日風邪を引いたと言ったことを思い出す。嘘を吐いていてよかった、郭嘉は自分に心底感謝をした。
「ああ、うん……そうみたいだ」
「困ったね、曹操殿が心配するんじゃないか。俺が来たときから郭嘉は郭嘉はって言ってばかりだったからね」
 あの厳格な男が自分の名を何度も情けなく口にする姿を想像して、郭嘉は苦笑した。あの主のことだから何故こんなひどい声をしているのか気付いてしまいそうで怖い。咎められはしないが、呆れられてしまうだろう。
「調子悪いとこ申し訳ないんだが、ちょっと急いでくれるかい。あんたの荷には手を出せなかったから、そこだけは頼むよ。俺は皆に最後の確認をしてくるから」
 てきぱきと指示をして走っていこうとする背中に、郭嘉は感嘆の息を漏らした。戦に参加していないせいもあるが、それにしても精力的に動いてくれているものだ。最早立ち上がることすら辛い郭嘉にはありがたかった。
「賈ク殿ったら、本当によく働くね。がんばって」
「陳羣殿に怒られても知らないよ!」
 そう言われると動かざるを得ない。こういう性格をどうにかする気などまったくないというのに、いちいち突っかかって来てくれるのだからあれは本当に真面目で信用できる男だ、曹操が気に入るのも分かる。とはいえそう何度も怒られてもつまらない、今回は戦前に怒られているのだからそれで十分だ。郭嘉はのそりと立ち上がると、散らかったままの書簡を拾い上げ始めた。
 再び外の光が差し込んだので、郭嘉は顔を歪めて入り口の方を振り返った。話に出た陳羣が自分を叱りにきたと思ったのだ。だが違った、帳を開けてこちらを覗き込む男は、背が高すぎるせいで窮屈そうに身を縮めながら、失礼いたすと唸るように口にした。
「ホウ徳殿? 一体どうしたの。馬超殿のところに行かなくていいのかな」
 ホウ徳はただ視線をさまよわせた。この真面目な男だ、話の見当はついている。そんな格好では話しにくいだろうと中に入るよう促せば、ホウ徳はおずおずと幕舎に足を踏み入れた。困ったようにただ立つ巨躯につい苦笑してしまう。郭嘉は広がったままの書簡を検めながら再びどうしたのかと問うた。しばらくして、低い声が言う。
「その、昨晩の非礼を謝罪したく……本当に申し訳ない」
「ああ、ホウ徳殿ったらひどいよね。あのとき離してくれていたら、私もあんな目に遭わなかったのに……」
 やはり思っていた通りだった。この男があの仕打ちを黙って見ていられるはずがない。あの手のひらの感触を思い出しながらも、郭嘉はわざと悲しげに顔を歪めて今にも泣き出しそうな声で言った。予想通りホウ徳はひどく焦り、申し訳ないと何度も繰り返す。この屈強な大男が自分のような頼りない身体付きの男に何も言い返せないのがおかしくて、郭嘉はくすくすと笑みを零した。すると、窺うようにこの名を呼ぶのもおもしろい。
「冗談です。ごめんねホウ徳殿、怒っていないよ。怖かったのは本当だけれど、私はああいうの平気なんだ」
 相手を問わずひっかけていれば色々と危ない目にも遭うし、恐ろしいこともある。確かにその中でも馬岱は特別性格が悪かったが、今さら改めて謝られる方が郭嘉としては居心地が悪かった。戸惑って左手首を擦り、はっとする。驚き焦ったのが表情に出てしまったのか、ホウ徳が不思議そうに首を傾げた。
「どうかされたか?」
「……いえ。とにかく、ね、ホウ徳殿、忘れてほしいな」
 昨夜のことも、今のことも。心底で付け加え、優しくそう口にする。しかしホウ徳は納得がいかない様子だ。左手に視線を感じて、郭嘉は慌てて後ろ手に手を組む。首を傾げてにっこりと笑めば、彼は小さく首を振った。
「それではそれがしの気持ちが治まりませぬ。勝手とは分かっておりますが、どうか謝らせていただきたい」
「ううん……そういうのは苦手なのだけれど」
 真面目で頑固、融通が利かない。やはり最初に見た印象通り、真っ直ぐすぎるが故に郭嘉には難しい相手だった。その優れた武勇も一本気な性格も策で使うには便利だが、実際にこうして対するのは苦手だ。郭嘉は困り果て、仕方なしに昨夜のことに触れることにした。
「では、聞かせてほしいな。教えてくれたら許してあげよう。ね、ホウ徳殿、あなたのような真面目な人でも、ああいうことで興奮するものなのかな」
 ホウ徳は驚きに目を見開いたが、やがてゆっくりと頷いた。物腰が落ち着いているせいでああしたことに煽られそうな感じはしないが、彼も男だ、欲というものはあるだろう。郭嘉は重ねて問うた。
「あんなふうにされる私を見て?」
 ややあって、再び頷く。郭嘉はごくりと唾を呑み込んだ、恐れを抱いたのか興奮したのか、自分でも分からなかった。先に嘘を吐いてからかったのは拗ねたような気持ちになっていたからである。あの状況で相手をさせられなかったのはありがたかったがしかし、この男に昨夜手を出されなかったことで何か負けたような、屈辱的な気持ちになっていた。勃起をしていたのは自分の間違いなのかもしれないと思ったが、彼は昨夜の姿を見て確かに興奮したと言うのだ。
 ますますわけが分からない。この男はきっととんでもなく我慢強いのだろうが、それをする理由が郭嘉には分からない。あの状況で欲求をわざわざ抑え込むのは愚かだろう、郭嘉はどうやっても抵抗できなかったし、手を出したところで何ら不自然ではない状況だった。周りの男は笑いながらもっとしろと囃し立て、馬岱は手を叩いて喜んだに違いない。だというのに手出しをせず、ただ頬を撫でるだけだったなど、欲に耐えているというより臆しているとしか思えなかった。
 そういうことならば試してみたくなるのが郭嘉という人間である。にやんと淫靡な笑みを浮かべると、ホウ徳の肩に両手を添え目一杯背伸びをして、できるだけ耳元に唇を寄せた。吐息に混ぜて、そっと囁く。
「ね、抱かれてあげようか」

2012.11.25発行