top

気まぐれなブルームーン_サンプル


P6〜
「あんた初めて見るなあ。最近入ったのか?」
 丁寧に皿を並べながら一カ月くらい前にと応じると、引こうとしていた手を男に取られてしまう。驚いてバランスを崩しかけた、せっかくの出来立ての料理を机ごとひっくり返すところだった。酔っ払いにはありがちな熱い目に見つめられて、郭嘉は思わず苦笑する。
「はー、きれいな人だ、気に入った!」
「いやだな、お酒も飲んでいないのに……」
 配膳のときに男女に絡まれることは皆よくあるが、酔っていない男にというのは本来ならばなかなか不愉快なことである。何してもひどいことをするわけにはいかないし、まさかこちらの客の誘いに乗ってやるわけにもいかない。辺りを見回すが、この数の客となれば皆も忙しい。それに彼らに頼るのも、記憶のない昔からこういうことには慣れているらしい郭嘉には少し癪だった。手をしつこくすりすりと擦られるのを振り払うわけにもいかずどうしたものかと考えていると、向かいにじっと座っていた男が言い寄る男の頭を打った。ぎゃっとわざとらしい悲鳴をあげた男が手を離してくれたので、慌てて腕を引き胸の前で軽く両手を握る。
「こら、失礼であろう! 申し訳ない、これはいささか……その。悪い男ではないのだが」
 コバルトブルーのフライトジャケットに包まれた大きな背を申し訳なさそうに丸めてそう言うのに対し、打たれた方の男はすまないと頭を下げながらも手を放したことを残念そうにしている。とてもではないがすまないなどとは思っていない様子だ、しかし怒っても仕方がない、郭嘉は構わないよと苦笑した。
「酔ったお客さん相手には、まあ、ときどきあるのだけれど。飲んでいない人は初めて……かな」
「あはは、酒なんかなくたって、あんたになら酔えるさ」
 歯の浮くようなくさいことを言ってみせた男は、同席の男に睨まれ縮こまった。郭嘉のイメージしていた軍人というのは助け舟をくれた大きな男の方だ、寡黙さと厳つい身体付きや顔付き、醸し出される近寄りがたさが何ともそれらしい。席がいっぱいとはいえこうして向かい合って座るくらいなのだから二人の仲はいいのだろうが、このいかにも軍人然とした男と浮ついたような空気のある小柄な男とで話が合うのだろうか。他人事とはいえ少し心配になってしまう。
 二人は食事を始めたが、まったく懲りていないらしい男は本当にきれいだとか惚れただとか、ありがちな言葉で何度も郭嘉を口説こうとしてくる。そういうことは言われて嬉しくないわけではないのだが、あまり迫られても困ってしまう。こうして客につかまってしまうと上手く抜け出すのは難しい。ついにはかわいいなどと言い出したのを聞いて、大男の方が言ったいささかというのはそういうことなのだろうなと郭嘉は思った、たぶん、そちらの気があるということだ。となると余計郭嘉には苦笑を返すことくらいしかできなくなってしまう。それでもごまかしきれなくなって自棄になり、郭嘉は男に向けて、ありがとうとわざときれいに笑いかけてやった。
「でも私は、このくらい逞しい男の人のほうが好きかな」
 そう言ってぴとりと同席の男の肩に寄り添えば、二人はほとんど同時にフォークを取り落した。こちらを視線だけで見下ろす大男にぎょっと目を剥かれてしまったのは心外だが、これくらいしてやらないとこういう手合いは諦めないから仕方がない。友人に殴られて黙るようなものではないのだ。郭嘉もだが、そういう性質の人間は同じような人間をなぜだか上手く嗅ぎ分けるし、なかなか見つからない分見つかったら猛烈にアピールしてくる。
「はは、もちろん、冗談だよ。誤解しないで」
「そ、そうであったか」
 笑いながら身を離すと、大男があからさまな安堵の吐息を零すものだから余計腹が立った。そんなにいやがらなくてもと言えば、気まずそうに目を逸らされる。この場でキスのひとつでもしてやろうかなどと意地悪なことを一瞬思うが、後々面倒になりそうなのでやめた。
 それよりも彼らの仕事の話だ。面白い話が聞けるかもしれないと楽しみにしていたのだから、こうして打ち解けたついでに尋ねてみたかった。もう口直しの酒を出すのにもちょうどいいし、アルコールが入ればますます気分よく話してくれることだろう。
「ね、せっかくだし、何か酒を作ってあげようか。私、結構得意なのだよね」
「ああ、申し訳ない。それがし、明日もまたフライトがあるゆえ酒は……」
「フライト? あなた、パイロットなんだ」
 男が頷くので、郭嘉はぱっと顔を輝かせた。もしかすると、今朝も飛んでいたのだろうか。話を聞かせてと勇んで言おうとしたところに、俺は甘めのが一杯欲しいと口を挟まれてしまう。郭嘉はむっと唇を突き出した。
「あなたが酔ったら、からだを触られそうでいやかな」
 普通の客相手にならばそんなことは絶対にしないが、彼らならば笑ってくれるだろう。思った通り、先に触るんじゃなかったと頭を抱えて大げさに悔いた男を、パイロットの男がまた窘めるように小突く。そのやりとりに軽く笑い、断りをいれてバーカウンターへ向かった。
 他のテーブルでも酒の注文があったのか、慣れた手つきでシェーカーを振っていた孫尚香が用意を終えホールへ向かった。周瑜もソムリエとしてワインを振る舞っているし、メインの食事が終わり、皆それぞれにくつろいでいるようだ。郭嘉も同じく手早くカクテルを作り終えると、隅の二人のテーブルへと戻る。
 差し出した淡い紫色のカクテルを、男はきれいだなあとものめずらしげに見つめた、あまりこの手の酒は飲まないのだろうか。そっと浮かべたレモンピールをぽいと取り除いてしまって暢気に口をつけている。それに密かに苦笑し、郭嘉はパイロットの男に向き直った。
「はい、これはあなたに。アルコールは入っていないから、もしよかったら、飲んでみてほしいな」
 爽やかな淡い青のグラデーションが美しい、オレンジ風味のシロップを使ったノンアルコールのカクテルだ。サービスだからねとこっそり囁く。身体が大きいせいだろうか、繊細なグラスを持っておずおずと口をつける姿が何だかおかしくて少し笑ってしまう。彼の酒の好みは知らないが、どちらかといえばこういう酒よりビールを豪快に呷る方が似合いそうな雰囲気の男だ。それでも、おいしいと言ってもらえるとやはり嬉しい。どういうカクテルかわかると身を乗り出して顔を覗き込むと、彼は逃れるように視線をさまよわせた。日に焼けた黒い肌でも赤らんでいるのが窺えたから照れているのだろう、あまり詳しくないのですと恥じ入るように言った。
「ですが、青空の色のようで美しいと……」
「そう、今朝、飛行機がたくさん飛んでいたのを見たんだ。あれは、あなただったのかなと思って」
 考えていたことがしっかりと伝わっていてますます嬉しくなってしまう。きれいな空と同じ色のカクテルを気に入ってくれたのか、男も優しく目を細めた。
「恐らくそうであろう。今朝は訓練で飛んでおりました」
 やっぱりそうだったんだと手を叩いて喜んで、慌てて両手を後ろ手に組む。子供のようなしぐさを恥じたと二人は思ったらしいが、そういうわけではなかった。忙しさのせいか、一体どういう意図でそうしようと思ったのかはあまり思い出せなかったが、どうやら郭嘉という男は知識欲が旺盛だったようだしたぶん誰が乗っているのか知りたかったくらいで深い意味はないのだろう、あの飛行機に手を伸ばそうとしていたのだった。当然高い空の果てになど手が届くはずもないので無駄だったが、今目の前にはまさにそれがあるのだ。料理を振る舞って、酒までサービスしてしまった。そう思うと何だか気恥ずかしいような気がして、郭嘉は背へ回した手を開いたり閉じたり、ごそごそと遊ばせる。
「あの……訓練って、何をするのかな」
「あー、今度基地で航空祭があるんだよ、色々ポスターとかいっぱい貼ってあるらろ」
 そこまで弱いカクテルでもなかったが一杯で酔っ払ったらしい、顔を真っ赤にした男がそう言った。言われてみれば、町のあちらこちらで何やら見かけたような気がする。そこで飛ぶのかと彼に問えば、酔っ払いが代わりに当然だと胸を張った。いわく、パイロットの男は航空祭でアクロバット飛行を行う部隊に所属しているらしい。その呂律があやしすぎていまいちよく分からなかったが、今朝の飛行もその練習をしていたとのことだった。
 きちんと理解できたのはそこまでだ、酔いのせいか男の話は支離滅裂になり、だんだん声が大きくうるさくなってくる。ついには隠していた手を無理やり握られまたすりすりと撫でられてしまった。こういう類の男だろうからあまり酒を振る舞いたくなかったのだ、注文を受けたのだからきちんと作ったが。だいたい、酒に弱いなら注文のときにそう言ってくれないと困る。分かるらろと何に対するものかよく分からないまま同意を求められて、郭嘉は曖昧に笑みを浮かべながら頷いた。途端嬉しそうに抱き付いてくる男を、大男の方が叩いて止める。きゅうと伸びてしまったのをきちんと席に着かせると、こちらに向かって頭を何度も下げた。
「本当に申し訳ない! 悪い男ではないのです。それがしが責任を持って、きちんと連れて帰りますゆえ……」
「ううん、気にしないで。驚いてしまったけれど、慣れているし。酒って楽しいし、ね」
 微笑みながら言えば、彼はほっとしてくれたようだった。申し訳ないともう一度仲間の非礼を詫びて、気持ちを落ち着かせようとでもするかのようにごくりとカクテルを飲み干す。その姿を見下ろしながら、郭嘉は小さく首を傾げた。
「航空祭にいったら、あなたが飛んでいるところが見えるのかな。私でも、基地へ入ってだいじょうぶ?」
「無論。ぜひ見に来ていただきたい」
 男は嬉しそうに笑った。そういうイベントがあるなら店の客足は少ないかもしれないし休みをもらえるだろうか、早めに周瑜に話をつけなければならない。せっかくなのだから見に行ってみたい、今朝も今も飛行機に興味が惹かれた辺り、案外自分はそういうことに携わる仕事をしていたのかもしれないと郭嘉は思った。
「からだが大きいのに、パイロットだなんて、何だかすごいね。体重もありそうだけれど、大変ではないのかな」
 二メートルはあるであろうその巨躯を見れば当然の疑問だ。記憶がある間だけでも色々な人間を見てきたが、これほどがっしりとした身体を持つ男は知らない。
「うむ……それがし、初フライトのときからこのウェイトゆえ。他と比べて大変かどうかまでは……」
 何とはなしに尋ねたことにそんな答を返されて、郭嘉は笑ってしまった。確かに、自分以外の人間の感覚など知ったことではないだろう。
「ふふ、そうか、それはそうだよね。ごめん、変なことを聞いてしまった」
 くすくすと笑いながらそう言うと、男は不思議そうな顔でこちらを見つめた。生真面目な男だ、ずいぶんと不器用そうだが、これで花形と言われる部隊のパイロットらしいのだから世の中分からないものである。やはり確かめに行く必要があるだろう、アクロバット飛行だなんて技術が要求されそうなことをこの男が上手くできるのだろうか、今朝は鳥のようにきれいに飛んではいたが。
「ね、きっと見にいくからね、航空祭」
 ぜひにと頷く男に笑顔を向け、郭嘉は言葉を続ける。
「あなたの飛行機だけ、重たくて、皆よりすこし下を飛んでいるかもしれないし。そうしたらすぐわかる、かな」
 再び大きく頷きながらも男は困ったように眉をひそめた。それを見て郭嘉はすっかり満足する、からかいがいのある男だ。意地悪なようだが人の戸惑う姿は見ていておもしろい、特にこういう大きな男が自分のようなひょろりとした男にしてやられて困惑するのは、そのギャップも相まって楽しかった。見た目にはとても厳しくてぶっきらぼうな感じがするが、意外と穏やかな性格なのか、怒る気配もないから安心して話せる。


P17〜
 あの白球は緑のラシャの上ではひどく思わせぶりになるからいけない。男は期待を持ってその行く先を見守っていたが、恐らくあれでは力が足りないだろう。これで落とせなければ自分が次に入れて終わりだ、思った通り、あの艶やかな黒い珠にキスしてみせたくせにそれを弾くことをしなかった。下品な舌打ちの音に、郭嘉はひくと眉を跳ね上げる。男の方もそれを察したのか、いつもなら入るんだと、軽く笑って肩を竦めてみせた。
「そう。緊張しているのかな」
「君が懸っていると思うとどうしてもね」
 チョークを塗る手に男がべたべたと触れてくるので、郭嘉は今度こそ密かに腹を立てた。いつもより多く付けてしまったらどうしてくれるのだ、感覚が鈍ってしまう。そのことでこのほとんど確定したも同然の勝利をみすみす逃がしてしまうような情けない腕ではないと自負しているが、それにしたって何かとマナーが悪いしひどい男だった。グレーのスリーピースとボーラーハットは仕立てが良く、一目で高価なものだと分かる。一応はそれらしいブリッジを作ってみせる左手の薬指に宿る輝きも通常見かけるそれよりひとつ、ふたつ桁が違うはずだ。中年にありがちな体型の崩れもなく、清潔感があってなかなかいい男だと思ったのだが、見かけばかりを繕って中身が伴わなかったと評さざるを得ない。
「ふふ、今からでもお金に変えてあげようか。私は、べつにいらないのだけれど」
 喉をくすぐる手に目を細めながら口にした言葉に、男はとんでもないと首を振った。それほど金が大事なのだろうか、それともそれほど抱きたいのだか。そこまでは分からないが、欲の深い男だ。
 勝者は敗者のいうことを何でもひとつ聞く、そういう単純な賭けである。だからこそ相手を選ぶことは重要だ、夜更けにこの町はずれのバーまでやって来る物好きで、しかもそういう気のある者をうまく見分けなければならない。そもそも、ここはそういう人間ばかりが集まるという場所ではない、ごく一般的で、少し洒落ているだけのバーだ。そこで気取った顔で一人酒を飲みながら品定めをして、一夜を共にするに足る相手を探さなければならない、それはなかなかうまくいくものではなかった。だがだからといって何度も同じ人間の相手をするのも変な情が入りそうで嫌な感じがするから、郭嘉はそれを避けていた。相手がいなければそれまで、意識の途切れる直前まで酒を浴びてふらふら帰っていくだけである。良い相手がいれば人気のない地下のビリヤード場に引き摺り込んで、上目に見つめてみせるのだ。私に何をしてほしいとの問いに、言葉を濁せばその時点で成功である。
 同じ目的を持つ人間を選んでいるのだから、勝っても負けてもすることは同じなのだ。それでもこうして腕に覚えのあるらしい者をゲームに誘うのは、キューを伝わり肩の付け根を揺らす弾力がひどく懐かしかったからだった。趣味として嗜んでいたのか、仕事にしていたのか。カクテルのレシピも分かる方だと思うし、やはり飛行機関連ではなくて、元からバーで働いていた人間なのかもしれない。記憶がないとはいっても、そういうものはしっかりと身体に染みついていてくれるものだ。郭嘉はぱちりと指を鳴らして、自信たっぷりにコールした。
「サイドバンク。私が勝つよ」
 軽快な破裂音と共に白球に弾かれた八番ボールはフットレールのクッションにぶつかり、鋭くその向きを変える。もちろん宣言通り、サイドポケットに吸い込まれるようにして消えてしまった。取り出し口へ戻ってきた黒い珠をそっと拾い上げ、口付ける。そのままほらねと微笑むと、男は潔く負けを認めた。意地汚くもうワンセットしようとねだってこなくてよかった、そんな気色の悪いことをされてしまったらいくらなんでも萎えてしまう。
「ああ、しかし……君は何が欲しいんだ。俺は金くらいしか持っていないよ」
「そこに立って」
 郭嘉はぴしゃりとそう言い切った。ビリヤード台をキューで差し示し、男を急かす。大抵は勝負の最中に限界が来てしまうから、勝ったときの郭嘉がこうして焦っても仕方はなかった。何をさせる気だと笑いながら男が台にもたれかかるや否や、郭嘉はその足下へとひざまずく。怪訝な目に微笑みをひとつ返し、太腿をするりと撫でてやる。さすがにこちらの望むものを察したらしい、いいのかと尋ねる声は熱っぽい溜息の中にあった。その問いには答えず、ただ股座へふうと息を吹き掛けた。すべては男の望みの通りだ、それが郭嘉の望みだった。
 金などいらないし、何か特別欲しいものがあるわけでもない。今の自分に必要なのはこのどうしようもない意識を散らしてしまうほどの圧倒的な熱である。それさえあればよかった。不安な夜を吹き飛ばし、胎に開いた穴を一瞬でも満たして、しばらく気絶させてくれさえすればいい。東の空の白み出した夜の終わりを一人歩いて帰るくらいは耐えられる。朝の陽ざしが差し込み出す中でようやく、泥のように眠るのだ。
 金具を食み、じりじりと小さな音を立てて焦らすようにゆっくりとジッパを下ろしていく。くしゃりと髪を掴まれて郭嘉は密かに笑った。この男とは、耐え症のなさが似ているかもしれない。鼻先で下着の合わせを探ってやるとペニスがぼろんと飛び出した。既に勃起しきって、脈打つ血管の窺えるほどだ。やはり身なりが良いだけあって清潔にすることを心掛けているのか、滓もなくあの鼻を突くような異臭もなかった。この店自体が洒落た雰囲気だし、風呂にまともに入らないような人間はそうそう来ないのだが。思って、震えてしまう。それをごまかすように陰茎に手を添えそっと頬を寄せると、男の熱い吐息が漏れた。先走りを溢れさせた先端に音を立てて口付けて、舌先でちろちろと孔をくすぐる。唇を離せば糸を引くそれを指に絡め取るようにして断ち切って、見つめた亀頭は唾液とも何ともつかない体液でぬらぬらと光っている。黄身を帯びた仄明るい照明は気に入っていた、いかにも地下らしいし、こういうものを照らすのに明るすぎる光は良くない。陰茎を緩く扱きながら男を見上げると驚いたよと囁かれて、郭嘉は嘯くように笑った。
「女性には困らなさそうな顔をしているのにな」
「そうかな、ありがとう。でも、こういうセックスの方が、気持ちがいいしね」
 突き出した舌で根元からゆっくりと裏筋を辿っていくと、男はぐうと低く呻いた。息を整える暇を与えずぱくりと性器を咥えてしまう。嘔吐かないようゆっくりと喉奥にまで受け入れてから、唇の隙間からそっと息を吐き出した。性器独特の精液の混じったような生臭いにおいが鼻から抜けるとくらくらしてしまう。息が乱れるのは口淫で苦しいからだけではない、ふーっ、ふーっと鼻から荒い呼吸を繰り返しながら、郭嘉はうっとりと目を閉じ頬を窄めた。そのまま頭を前後に振って、口腔をいっぱいに使ってペニスを愛撫する。
 これを無理やりに突き込まれ喉を抉られる苦しみを知っているのだ。この生臭さなど比にならない不快なすえた臭いを知っている。だが、そんな人間はここへは来ない。魯粛にも言ったように場所は弁えているのだ、この店以外で下品に男を漁ったことなどない。そうであれば、一体いつ、なぜ。やはり身体が震えようとする、これでは駄目だ、足りないのだ。ぐと持ち上がった陰嚢を促すように擦ってやる。張り詰めたそれを転がしじゅるじゅると音を立てて性器をしゃぶれば、意識を混濁させてくれるあの白濁が吐き出されるはずだった。溢れる熱が喉を叩く、その直前で取り上げられてしまった陰茎を、郭嘉は潤んだ目で見つめた。
「下品な顔だ」
 きっとだらだらと涎を垂らし、物欲しげに性器を見つめていた、それは分かっていたのだ。そんな顔を晒してでもこの思考を濁らせて欲しいのに、それをしてくれない。ひどく意地の悪いことをした男は満足げに笑いながら、郭嘉の唇を指先で拭った。
「だ、だって。はやく、欲しいんだ、おねがい……」
 両手を握られ、立ち上がるよう促される。性器を咥えていただけで昂ぶりふらつく身体が男の胸へ倒れ込んでしまった。きつく抱きしめられたまま顎を舐られ涎を啜られ身悶えする。そのまま唇を合わせようとするので、郭嘉は汚いよと男の胸を両手で押し返した。つい先ほどまで性器を含んでいた唇だ、排泄をするところなのだし、冷静になれば男も嫌になるだろう、思ったが構わず口付けをしてきた。半開きになった唇をこじ開けた舌が、自身のそれに絡み付いてくる。先端を擦り合わせては舌裏をくすぐって、誘われるままに後を追えば逃げるように上顎を擦り上げる。ぞくぞくと背筋の震える感覚が堪らない。歯列をなぞった舌が差し出されるとすぐさまそれに吸い付こうとしてしまう。絡み合ったそれがじゅと小さな水音を立てると、男はすぐに顔を引いてしまった。
「んぶ、っう、ふあ、あー……」
 情けなく舌を突き出したまま、郭嘉は喘ぎ声を漏らした。射精しそうな性器を取り上げてしまったのにしても今にしても、この男は底意地が悪いに違いなかった。欲しいかと問われて首肯せずにいられるはずがない。何度も頷く必死な姿を笑われてしまう。
 促されるままに男の肩へ縋り付けば、ふわりと身体が浮かび上がった。そこまでがっしりとした身体付きでもないのに軽々この身を持ち上げた。ビリヤード台の上へと座らせてしまって、下から見上げてくる男の顔はにやにやと意地悪に笑っている。
「ね、はやく、はやくして……」
 近付く唇にそっと目を閉じるが、それは郭嘉に触れることなく唇の直前でいたずらにリップ音を立てただけであった。かっと顔が赤くなる。期待しすぎているのだ、はしたないと思うが仕方がなかった。抉られて、気を失ってしまいたくて、白い肌が官能に飲み込まれて赤くなるのを発情しているようだと笑った男は、一体いつ出会った誰であったのだろうか。

2013.10.20発行