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しかし まわりこまれてしまった!_サンプル


P3〜
 横顔に見慣れぬ色がある。それを喜ぶべきか悲しむべきか、荀ケは判断を付けられないでいた。二人で同じ時を過ごしていたのももうどれだけ昔なのか、その間お互いに何をして誰と出会ってどのように過ごしてきたのか、そう簡単には語り尽くせないだろう。重い溜息が彼の金色の髪を少しだけ揺らした。一房手に取り、そっと梳いてみる。手入れを欠かしていないのか柔らかく艶めいたそれは、指に絡むこともなく水のようにさらさらと流れ落ちていった。これは確かに皆放っておかないだろう。だから仕方がないのだ、思ってしかし、どうしても悲しい気持ちになってしまう。
 昔から、すれ違う者を残らず虜にするような少年であった。それはこの不思議な髪色のせいでもあったし、その優れた顔のつくりのせいでもあった。幼くも整ったその顔立ちは近くずいぶんな美丈夫になることを誰もが予見できたし、髪と同じ色の光を灯す眸の輝きには大人も唸る程のすばらしい聡明さがあった。本当に上手く成長したものである、彼と同じくまだ幼かった荀ケが想像していたよりも遥かに美しい容貌で、この男は現れた。敵に追われていたというのにひょうひょうとしてありがとうと微笑んでみせた姿など、あまりに艶やかで、荀ケがめまいを覚える程であった。
 仙女と見紛う程に麗しい若者がのべつまくなしに男を誘っているなどというのは、潁川の名士の間では有名な話であった。身分も明かさず名も教えず、ただ話をするなり何なりして、明朝気が付くとその姿を消している。本当に人間であろうかと恐れる者もあったが、多くは今宵こそは自分の下に彼が現れてくれないものかと密かに期待していたようであった。
 荀ケはそうして色に浮かれるのを軽蔑するばかりだったが、若者の正体とはこの郭嘉であろうと確信していた。なぜならば、英傑と呼んで差し障りのない名のある男たちがほとんどまともに意見も交わせないまま、青年に簡単に言い包められてしまっていたからである。皆美しかったと口を揃えるばかりで、その才知などかけらも理解できていなかった。この天下にそうそうとびきりの才色兼備がいるはずもない、しかもそれが妖のように不思議なきらめきを持つというのだから、荀ケは喜びとそれ以上の落胆を持って、件の男を郭嘉だと確信した。
 その智慧に陰りはないとはいえあの賢い子供が色欲に堕ちるなど、荀ケは信じたくなかったのである。だがこうして見下ろす面には確かに、荀ケの知らない、妙に艶美な気配があったのだ。
 高くて愛らしい声が荀ケ殿と微笑むのがかわいらしくて、またその明敏な言動が好ましくて、屋敷近くに彼が住んでいた頃は朝まで二人で語らったものである。そういえばこの名を呼ぶその声すらもいつの間にか穏やかな低音へと変わってしまったようだから、あれから一体何年経ったのかなどは推して量るべきなのだろう。
 吐き出した溜息は先とは違い、自分のふがいなさに対するものであった。己の膝へ乗せた郭嘉の頭を撫でてやりながら、荀ケは俯く。自分はとうに曹操を主と決め付き従っていたが、郭嘉は今日まで数多に交際を結んでいた。そうしてふらふらしていたこと自体を責めるつもりはないが、何を思ったか、よりにもよって袁紹などを主に定めようと思ったからいけなかったのだ。荀ケも過去に一度袁紹に仕えたことがあったのを、何としてでも知らせておくべきであった。それでも彼の場合面白がって、彼の同族や荀ケが仕えた男の顔を見たがるのだろうが。
 彼は袁紹を見限り謗ったせいで兵に追われていた。それを助けてやったそのときには、この都からうまく抜け出す自信があったのだ。互いに接近戦は得意ではないとはいえ戦えぬ程にか弱いわけでもないし、武器も手元にあった。そしてそういう場をなんとかする作戦を立てることこそが生業なのである。だというのに、一体なぜこんなことになってしまったのか。きっとそういう驕りがいけなかったのだ、慢心したところを圧倒的な数で責められてはどうにもならなかった。
 こうなると止まらなくていけない。荀ケは嘆息した。もう今はこの状況を嘆いている場合ではないのだ、この暗くてじめじめとした陰湿な牢からいかにして脱出し、無事二人で帰るか考えなくてはならない。
 一人きりではないのだからやりようはいくらでもある、そう思うしかなかった。自分が駄目でも郭嘉の明晰な頭脳ならば、きっと何かしら策を思いついてくれるであろう。不意に彼が身じろぎをしたので、荀ケは彼の頬へそっと手を添え、その顔を覗き込んだ。ゆらゆら揺れる金色の眸がゆっくりとこの顔に焦点を結ぶ。
「おはようございます。目が覚めましたか」
「ん、う……荀ケ殿。どうしたの。どうしたのだっけ、あれ……」
 ぼんやりと呟く。混乱しているのか、頭を強く打ったのかもしれなかった。大丈夫ですかと問うや否や、郭嘉が勢いよく飛び起きる。止めてやる間もなくて、がしゃりと耳障りな音が響き渡った。喉を締めつけられる感覚に二人して咳込む。
「ぐっ、な、に。これ」
「う、けほっ、見ての通りです……」
 郭嘉は恐る恐るといった様子で首元に手を当てた。喉を締めつける首輪をなぞり、こちらへ視線を向けてくるので、荀ケもただ頷いた。彼の首輪から伸びた鎖は、こちらのそれに繋がれている。手足が自由なことだけは助かったが、それにしても趣味が悪い。郭嘉もそう感じたようで、先のように鎖を引っぱってしまわないよう注意して身体を起こしながら、くそとらしくなく品のない言葉を吐き出していた。
「ああ、ごめんね、苦しかったかな」
「少し……しかしあなたもでしょう」
 できるだけ膝を寄せて向き合うと、郭嘉が手を伸ばしてきた。荀ケの首元にきつく嵌められた輪をなぞりながら唸り、顔をしかめる。
「困ったね、これは。荀ケ殿の術でどうにかならないの」
「人を妖のように言わないでください。仙人でもありませんし……だいたい、陣杖もないのですよ」
 私もそうだと郭嘉は頷いた。そもそも陣杖は結界を作れるだけでそれがあれば何でも便利に妖術じみた力が使えるわけでもないし、打球棍だって不思議な珠を呼び出して弾き出すものである。郭嘉もそのあたりはわかっているだろうから、先の言葉は単なる冗談なのだろう。剣や槍を手に戦う猛将であればそういう武器がなくとも多少は戦えるかもしれないが、彼も自分もこうなるとどうしようもなく非力である。武術がまともにできたところで、この妙な鎖で繋がれていてはどうにもならなかったかもしれないが。
 そういう状況下で、どうしたらいいのだろうか。思案している様子の郭嘉であったが、その口から紡がれたのは有効な打開策などではなかった。
「そうだ、荀ケ殿。だいじょうぶだったかな? 怪我は」
「私の心配などなさらないで。郭嘉殿こそ、どこか痛みませんか?」
「うん。ふふ、私のことも、心配しなくていいよ」
 そう言われても、荀ケが不安になるのは当然であった。彼はあの珠をすべて撃ち落とされてかなり激しく攻撃を受けていたし、実際つい先程まで気絶していたのだ、心配しないはずがない。だというのにこちらことを気遣ってくるので、荀ケは悲しくて何だか腹さえ立ってしまった。陣杖で張った結界のおかげで荀ケには目立った傷などひとつもない。そもそも荀ケは郭嘉を逃がしてやるために協力したというのに、この男ときたら真面目に逃げる気などなかったのか、こちらを庇うように戦うばかりであった。だからこそ荀ケは無事でいられたのだが、そんなことを願った覚えなどありはしない。
 身を呈して守らなければならない程、弱いと思われているのだろうか。静かに唇を噛み締める。共に語らい過ごした幼い時分、仲睦まじい兄弟のようだと言われたこともあった。自分の方が年上で、つまりは兄なのだし、弟である彼を守ること、教え導くことは当然だ。兄相手に気遣いをすることなどないのだと、きつく言ってやらねばなるまい。逃がしてやると言ったのだから、素直に甘えて郭嘉一人で逃げればよかったのだ。それを袁紹と曹操の間に戦を招くといけないなどと言って、共に戦ったからこうしてまとめて捕えられてしまったのではないか。怒りに任せ口を開こうとしたが、なんだか楽しいねと暢気に微笑まれてしまっては何も言えなかった。
「こういうの、懐かしいよ。あなたとこうしてはなしをするのは……いったい、いつぶりなのだろうね」
 その声音といったら、心の底からうれしいということが伝わってくる程に弾んでいたからもう呆れてしまって、ただ溜息を吐き出すしかなかった。あなたは楽しくないのと郭嘉が寂しげに首を傾げる。曖昧にでも笑みを返してしまうあたり、とことんこの子には甘いのだなと荀ケは内心で苦笑した。
「はあ……あの、これ、なんとか鍵が開かないでしょうか。あなた、遊び歩いているのなら、こういうものを使いはしないのですか? 開け方くらいわかりませんか」
「えっ? それは、また……」
 郭嘉は一瞬うろうろと視線をさまよわせ、やがてごまかしようがないと悟ったのか、いっそ潔い程に明るく満面に笑みを浮かべてみせた。髪や目の色、大ぶりな目鼻立ちやぷっくりとした唇が華やかな顔のつくりといい、派手な印象のある彼がそうして笑うと、なんと晴れ晴れしいことか。まるで大輪の花だ、荀ケは息を呑み、それに気付いて急いで俯いた。自分の喉元にある首輪をわざと大きく耳障りな音を立てて弄り、鍵穴を探るようなふりをする。郭嘉がくすくすと笑う声が聞こえた。
「こんなものを使うという想像に至るあなたも、なかなかいやらしいよね」
「笑いごとではありません」
 そうだねとやけにのんびりとした口調で言ったきり黙ってしまって、重苦しい沈黙が落ちる。楽しいなどと言ったのなら何かしら話を続けてほしかった。静かになるといけない、もう駄目なのではないか、殺されてしまうのではないかと恐ろしくなって、悪い考えが止まらなくなるのだ。最悪の想像に埋め尽くされた荀ケの頭はもうまともに機能などしていなかった。
 彼は逡巡しているのだろうか。何かしら策を考えてくれているのだろうか。頼るしかない、その表情に余裕の笑みが浮かんでいることを願うしかない。恐る恐る上げた視界いっぱいに目も眩むような美貌が映り込み、鼻白む。そうして口元へ触れたのは彼の唇だった。こんな状況には不釣り合いにちゅと愛らしい音を立てて口付けてくるそれは、女のように柔らかな肉感があった。成程これは夢中になって浮かれる男もいるものかもしれない。奇妙な程に甘くて、それこそ何か妖しい術でもかけているのではないか。だからこそ潁川の男どもは色に狂ってしまったのではないか。そういうことに対して厳しく自分を律し、皆を侮蔑してきた荀ケですら、もっと味わっていたいとぼんやり思った。接吻とはこんなに心地の良いものであったのかと、何か目の覚めるような気さえした。口付けるその相手が彼だと思うと気持ちがすうと落ち着いていくのに、何か妙に昂ぶるような感じもする。
 震える手が彼の肩を抱きそうになる。ぎりぎりのところで気が付いて、慌ててそれを突き飛ばした。まさかそんなことをされるとは思っていなかったのか、思いきり尻もちをついた郭嘉からわあと悲鳴があがる。流石にやり方が乱暴だったかなとも思ったが、鎖が引かれたせいでこちらも息苦しくなったのでお互いさまだろう。
「あはは、ごめんね。真剣な顔をした荀ケ殿が、あまりにもきれいだったから、つい」
「つ、ついって。あなた……!」
 荀ケは絶句した。人が不安で押し潰されてしまいそうになっているというのに、ふざけるにも程がある。どうしてそんなにも余裕があるのだろうか。荀ケは胸元で両手を握った。もう何かしら良い策が思いついているからこうして戯れる気になれるのかもしれない、袁紹など出し抜く策があるのだ、それならば早く話して、自分を安心させてほしかった。もしくは、自棄になってしまったのか。嫌な想像のせいで、拳にぎゅうと力が篭る。
 それをそっと両手で包み込んで、郭嘉が微笑んだ。先に見せた必要以上に華美なそれとは違う、柔らかい表情であった。控え目にそっと咲く笑顔にはどこか物悲しい色すらある。手が震えた、彼に握りしめられているからきっと伝わってしまった。
 妖艶で清楚で、淫らで儚い。一体どれが本物なのだろう、幼い頃に見たあの姿は何だったのだろうか。もしかするとあの愛らしい素直な子供はこの男の作った幻だったのかもしれない、化かされていたのかもしれない。
 思って、首を振る。彼は間違いなくあの子供だ、それが成長した姿だ。荀ケには、潁川の仙女を抱いた誰よりも長く、その若者、郭嘉と付き合ってきたという自負があった。あのときと同じ、優しく細められる眸のその不思議な光の色を、他の誰かならばともかく自分が見間違えてしまうはずがない。
「荀ケ殿、だいすき。ずっと、昔から、今まで」


P18〜
 あのかわいい子供が。呼吸がおかしくなって、まともに空気が吸えなくなる。胸か喉に何かがつかえてしまったようだった。代わりにひどく下腹部が熱くて、忌み嫌うあの感覚が込み上げていた。焦って息が浅くなり、頭には濃い霞がかかる。めまいのようにくらくらとして気持ちが悪かった。郭嘉はもうとうに汚れきってしまっている。滲む汗を男の体液と混ぜ合わせてしまって、身体の中で一番汚れたところを暴かれて泣いている。自分を庇うために演じてくれていたのであろう、あの娼婦のように淫らな姿だって、咄嗟にやろうと思ってできるものではないはずだ。きっと事実ああして男に媚びて過ごした夜があるに違いなかった。
 わかってはいるのだ、優しい郭嘉だからこそ、こうして自分を守ってくれているのだと。年下なのにいつも荀ケを大事に思って気遣ってくれていた。自分を犠牲にしてでも守ってくれた。わかっていた。きっと彼自身も、自分が今までどういう暮らしをしてきたのかなどわかりきっていて、そういうことを荀ケが厭うことも知っている。その上で、ああして淫乱のふりをして、実際に身体を擲って、自分をかばってくれた。わかっているのだ。
 だが駄目だった、幼い彼と過ごしてきた大切な思い出が白濁にまみれて滲んでしまって、もう胸は張り裂けてしまった。その深い裂傷に郭嘉の淫靡な一面を実際に見てしまったという衝撃や悲嘆がじくじくとしみて痛むと、同時に湧き上がってくる男としての汚らわしい欲求に絶望を覚えるのだ。あのかわいい奉孝が、あそこまで淫らな顔をして啼くなど、それに兄の自分が興奮するなど、絶対にあってはならないことなのである。しかし現実にどちらも起こっていて、郭嘉の身体は男を喰らい、荀ケはその光景に嗚咽を漏らしながら勃起していた。気の狂うような状況であった。これは現実なのだ、だがそうと信じたくなくて、信じられなくて、その実下腹には唾棄すべき熱があった。それを穏便に鎮める術など知らなかった。殴られたような衝撃で霞がかった頭が大きく揺れて、どうしようもなく吐き気がする、思ったときにはもう遅かった。ざわと波立つ胃液が一斉に喉を逆流していた。それを止めようとして口を押さえた両手を汚しながら、饐えたにおいの吐瀉物がびちゃびちゃと床へ落ちる。
「あーあー、荀ケ殿ぉ、おかわいそうに」
 背後から冷めた声が聞こえたが、止められるものではなかった。気持ち悪い。口端から垂れる酸い水を拭うこともできず、ただ呟く。一度口にすると止まらなかった。気持ちが悪いのだ、今溢れたのは嫌忌、ひどい嫌悪であった。人の肌に浮く汗も、唾液も、精液も、何もかもが汚い。汚らわしくて、怖気のする程気持ちが悪い。滲み出てしまう嫌な汗を拭いたかった、漏れ出ようとする惨い言葉を口腔に留めておきたかった、そうしようとするその手も反吐にまみれていた。
「うっ……うぅ、郭嘉殿、ごめん、なさい」
 自分のためにしてくれていることだとわかっている。今は嫌がっていることもわかっている。だが荀ケが知らない間の郭嘉はきっと、あの見知らぬ色を濃くした表情をしたこともあったし、そのときには間違いなく、男根などを喜んで受け入れたのである。そして荀ケがその姿に男として欲情したのも揺るがない事実であった。涙がこぼれた。言葉と同じで、少しでも溢れると止まらなかった。ぼたぼた落ちるそれが、自分が喉から吐き出した汚物に波紋を作る。郭嘉もこれと同じだ、人の体液に肌どころかその胎まで浸からせて、なんと汚らしい。そしてそんなものに淫情を覚えるなど、なんと浅ましい。大好きなあの子供相手に惨いことを。そう思うのに、どうしても荀ケには止められなかった。
「汚い……気持ち悪い。きもち、わるい」
 頭の壊れたように荀ケがただ繰り返すその言葉に、郭嘉は僅かに顔を歪ませた、ほんの一瞬だった。だがそれはきっと途方もなく大きく彼の感情を揺り動かしたに違いなかった。違うと言えばよかったのだろうか、それとも気持ちよさそうでよかったなどと嘘を言って微笑むべきであったのか。どうすればよかったのか、荀ケにはわからなかった。ただ、先程の言葉は言ってはならなかった。それくらいはわかっていた。偽りのない本心だとしても、決して口にしてはならなかった言葉だ。
「郭嘉殿は、荀ケ殿のためにがんばってるんですよ。汚いなんてぇ、馬鹿にしたらひどいですよ!」
 馬鹿にしているつもりはないのだ、違うと首を振りながらしかし震えは止まらない。擦り付けられるひげや陰茎が不快で気持ち悪くて、また吐き気がしてしまう。それを必死で抑え込んだ。確かに男の言う通り、郭嘉があんなことをしているのは自分を守るためだ。それなのに嫌悪を抱くなど酷薄で、自分の方こそある意味では汚いのかもしれない。霞がかった頭でそう思うと、唇は勝手に私のせいでと何度も繰り返す。荀ケはひくと喉をひきつらせた。喘ぐ郭嘉の姿がぶれている、焦点が合わない。
 確かにそうだ、きっとすべては自分が悪いのだ。まだ荀ケも幼かった頃、あのまっさらな奉孝を正しく導いてやれなかったから、郭嘉は淫奔で多情な性格になり、自らのことなど少しも大事にしなくなってしまった。その結果がこれではないか、他人のために文字通り身体を張っている、荀ケのために男に抱かれているのである。
「でも、う、ううっ、奉孝ぉ……わたしの、奉孝が……」
 もう取り返しはつかないのだろうか。あのかわいらしい無垢な子供は戻ってこないのか。きっとそうなのだ、郭嘉はもう汚れきってしまっている。乱れに乱れ落ちるところまで落ちて、変わりきってしまった。汚い身体と、どうしても思ってしまうことが悲しい。そうしながら自らもその妖艶な姿に昂ぶっている。忸怩たる思いだった。
「荀ケ殿。荀ケ殿もやってみましょうよぉ。一緒になれば、汚いなんて思わずに済みますよ」
 荀ケはゆるりと首を傾げ、目を瞬かせた。郭嘉が何事か言おうとしていたように見えたが、激しく腰を打ち付けられてただ嬌声をあげるばかりであった。
「やめて……荀ケ殿には、ぁう、あーっ!」
「あんなにがんばってくれてるのに、自分だけきれいなんてずるいですよ。荀ケ殿も少しなら汚れてもいいじゃないですかぁ」
 背後の男の指がうなじの辺りをつうと這ったせいでぞくりとした。震えであったがそうではなかった。この感覚は、何だったのか。考えても答は出そうになかった。そもそも考えるということができなかった、物を考えるとはどういうことであったのかもうあまりわからなかった。男が囁く言葉もただ耳朶を舐めていくだけで詳しい意味までわからない、ただ汚れるという言葉に、荀ケは反射的に首を振った。
「いや。いやです、きもちわるい……!」
 襟元に回された指が衣服の合わせを探った。喉の隆起をくすぐるように撫でた指先が、そのまま鎖骨まで下りていく。あ、と意味のない音が喉から出てしまうと、頭にかかるもやはいっそう濃くなった。
「荀ケ殿、でも、一緒になれますよ」
 いっしょ、とただ繰り返すだけの唇を、男の指がなぞった。楽しそうに笑ってそうだと頷かれる。わけがわからなかったが、ふわふわとした気分になった。男の言うそれが正しいような、そうするべきであるような、不思議な気持ちがした。
「郭嘉殿一人にがんばらせるわけにはいかないですよぉ。郭嘉殿のことわかってあげましょうよ!」
「荀ケ殿! いいんです、私は、っんぐぉ、お」
 叫んだその口に男の陰茎が突き込まれると、郭嘉は汚い呻き声をあげた。前にも後ろにも性器を咥えて思うままに揺さぶられている。ただ苦しそうで、ひそめられた眉が痛々しい。あんなもの、本当にただの慰み者ではないか。郭嘉ほどすばらしい才知と洞察力を持つ、こんな男たちとは比較にならない程知性的な人間が、下賤な人間に抱かれている。汚れている。
 自分はそういう欲を忌避してきた。そんなものに狂う輩が気色悪くて見下してさえいた。潁川の仙女などという噂も気味が悪くて堪らなかった。そうして、清爽であろうとしすぎていたのかもしれない。荀家に生まれ期待され若い頃から才を見出され、それに見合う人間になろうとして、頑なになりすぎていたのかもしれない。
「ほら、接吻! 接吻だけでもさぁ。ねっ、ねっ!」


P29〜
 はだけられた胸元から、背後の男の手が差し込まれた。腹を撫で擦りへそをくすぐる手のひらがその熱をいっそう煽るような気がする。ぴくぴくと小さく身悶えしながら、荀ケは後ろを振り返った。
「あ……っや、な、何、ですか……」
「おちんちん、おいしいでしょぉ。気持ちいいね」
 楽しそうに口にしながらその手は器用に腰の装飾をぱちりと外し、衣をはだけさせると下腹にまで忍び込んだ。下穿きを探る男は、触れられてもいないのに勃起した陰茎を探り当ててしまうかもしれない。そうなればどれ程笑われ屈辱を味わうはめになるだろうか、荀ケは怯えて身を縮こまらせたが、分厚い手のひらがまさぐったものは男根ではなかった。
「やっ、そ、そんなところ……!」
 既に郭嘉がされていたのを見ているし、その予感や覚悟はあったつもりだった。だが実際に男の指が後孔などに触れると、羞恥や恐怖が湧き上がってくる。こんなところに本当に、突き込むつもりなのだろうか、郭嘉にしていたように。排泄にしか使ったことのない孔をくにと軽く押されて、荀ケはああと声をあげた。嬌声というよりは悲鳴に近かった。大丈夫だよとそれをあやしながら、男が何かしらを懐から取り出した。先に射精をした男がえげつないよなあとのんびり笑っている。
「男は濡れないからねぇ、慣らしてあげないと」
 とぷんと粘性の液体がこぼれたような音がしたかと思えば、次に後孔へ触れた男の指はべっとりと濡れていた。油のようなそれのぬめりが後孔へまぶされていく。恥ずかしいところに寄るしわの数まで晒されてしまうようだった。それを一本一本確かめるようにゆっくりと撫でたかと思うと、指先がつぷりと尻穴へ沈む。
「あ、あん、やだ、汚いです、そんなのぉ……」
 液体に濡れたはずの指が妙に熱かった。呂律がうまく回らず、幼子のような言葉づかいになってしまう。ふるふると小さく首を振って嫌がるのに、男はずっとその耳元へ気持ちいいねと馬鹿みたいに繰り返し囁いていた。
 指先は中に軽く埋もれては入り口を引っ掻くようにして外へ出ていく。何度も何度もそれを繰り返されると、普段汚物をひり出すところから何かが逆流してくるような感覚がして、混乱してしまう。ぼうっとして思考がまとまらないのだ。揺らめいて、もやがかかっている。
「あ、あー……そこ、あ、熱い、あつい……」
 気持ちいいね、と笑われた。この感覚は絶対にそうではない、異物感だ。しかし確かに、排泄器であるはずなのにそこは性器のように熱くなって溶け出してしまいそうだった。ねとりと糸を引く液体でぬかるんだ孔を抉られるたび、陰茎がびくびくと震えた。結局触れられもしなかったのにもはや腹につきそうな程に勃起している。こんなに昂ぶってしまうなど、あまりにはしたないことだった。これまでに一度だって経験のないことだった。
 ずぷんと根本まで指が中へ沈む。小指の一本だけとはいえ、やはり何か詰まったような感じがして息苦しい。しかし男は気持ちいいと言う。ぐりぐりと穴をほじるように掻き回されて、どうしても抑えられない声が溢れた。
「あ、あっ。あっ、やだ、やだぁ」
 この感覚がそうなのだろうか。荀ケはただ喘ぎ泣くことしかできなかった。嫌だと言っても止めることなくほじられて、次第に中がゆるんでいくのが自分でもわかってしまった。女膣もこうして快楽を得ているようなのだから、やはりこの感覚は気持ちが良いということなのだろうか。そこはやはり女性器のように柔軟に広がって、ついには三本もの指が埋め込まれてしまった。
「気持ちいいいねぇ、荀ケ殿」
 違うと、思うのに止まらなくなる。こんなところを犯されて気持ち良いはずがないのだ。郭嘉ですら嫌がっていたのに、初めてそこを晒す自分が感じるはずがない。気持ち良くなどない、そうだとわかっているしそうだと言い聞かせたいのに、男の声ばかりが頭の中をぐるぐるとまわっていた。気持ちいいと囁かれて、腰が跳ねる。嬌声があがる。気持ちが良いのだと知覚される。
「っあ! だめ! だめです、っこんなの、お、おっ、や、やだぁー……っ!」
 そうして泣き喚くようになってようやく指が抜かれたが、一気に三本とも抜かれてしまったせいなのか、はらわたを引きずりだされたような錯覚がしてぞくりとした。だというのに、内部は未だ溶かされたような心地でいて愚かに震えている。
 男の声が止んだ。これこそ、気持ちがいいものではないのだ。確かにそうだった。もじもじと腰が揺らめくのを止められない。震えているのは、男の指の温度で溶かされた腸壁が喪失感に泣いているからだ。早く、と無意識に呟いてしまう。男が笑ったことでそれに気が付いて赤面こそしたが、欲しいと思うことを止められはしなかった。腰を抱え上げられたかと思うと、後孔へ陰茎が宛がわれる。どろりと濡れたそれは指よりも熱かった。
 男の腰に座らされる格好で深くまで挿入される。身体中に雷に打たれたような衝撃が走って、荀ケは目を白黒させた。指よりも熱く強烈な圧迫感に内臓が押し上げられ、ふとか弱い吐息が溢れる。孔の縁にぴたりと男の下腹が触れた。男の先走りなのか先に使われた油のようなもののせいなのか、汗だけではない粘ついた感触がする。本当ならば怖気がする程に気持ちが悪いのに、もうそんなことを気にしていられなかった。だらしなく垂れた舌が口の中に戻らない。唾液が顎を伝っていくのを感じるのに、拭うことも啜ることすらもできなかった。そして喉の奥から、溢れる叫びを抑えることもできない。

2014.11.09発行